吉嗣 拝山(よしつぐ はいざん)の作品を高価買取!絵画作家の査定ポイントを徹底解説!

1.吉嗣 拝山の作品を売りたいお客様へ

吉嗣拝山は、江戸時代末期から大正時代にかけて活躍した南画家で、漢詩人です。左手を失い、その骨で作った骨筆で絵画や書を描き、高い名声を得ていました。吉嗣拝山の作品は福岡県立美術館などに収蔵されて現在も高く評価されており、査定時に高い金額を提示される可能性があります。

このページの目次

2.吉嗣 拝山についての解説

吉嗣拝山は、山水画と花鳥画を得意とし、とくに芦雁図に優れていました。東宮(後の大正天皇)の九州巡遊の際には御前で梅花を描いて喝采を受け、1894年には第4師団より英国王室献上するための『富岳の図』を制作しました。当時は九州を代表する南画家、漢詩人として誰ひとり知らない者はない存在であり、フランスの東洋美術研究家ミジヨンに作品が賞賛されるなど、国内外に名声を博しました。

3.吉嗣 拝山の歴史

吉嗣拝山は、1846年に町絵師の吉嗣梅仙の長男として筑前大宰府(現在の福岡県)で生まれ、名は達、字は士辞といいました。幼い頃から宿坊で働き、19歳のときに日田の広瀬淡窓の私塾「咸宜園」に入門して漢詩を学び、22歳のときに京都で中西耕石に入門して南画を学び、詩にも優れていました。明治維新後は太政官に出仕しますが、災害で右腕を失って職を辞します。左手で書画を描くようになり、号を左手拝山・独掌庵としました。1877年頃、清(中国)に渡り画を研究しました。信州の児玉果亭、愛知の山本梅荘とともに、地方南画家の三傑と称され、1915年に享年70歳で死去しました。

4.吉嗣 拝山の代表作

  • 富岳の図

5.吉嗣 拝山の作品の買取査定ポイント

吉嗣拝山の作品は市場に出回る作品数が少ない傾向にあり、真贋不明の作品もあるため、肉筆画の真作であるかが高額査定の重要なポイントです。吉嗣拝山本人の作品の証明となる鑑定書が付属されている絵画であれば、高値の査定額が期待できます。

代表的な査定ポイント
  • 作品の保存状態は良好か
  • 真作の証明となる鑑定書は付属しているか
  • 落款はあるか
  • 本人作の肉筆画か

6.吉嗣 拝山の作品の取引相場価格

吉嗣拝山の画帳が、33,333円の価格で落札されました。作品のサイズは縦24cm×横45.5cmで12枚組、縦28.5cm×横26cm×高さ5.5cmの箱に入っており、虫食いやヤケなどの経年劣化のある花鳥画の水彩画作品です。すべての画に漢詩と花鳥図が描かれ、真作保証されています。吉嗣拝山の作品は非常に貴重で評価が高く、保存状態がよい吉嗣拝山の真作であれば、さらに高額査定が期待できるでしょう。

7.吉嗣 拝山の作品の買取についてのまとめ

花鳥画や山水画、漢詩文に優れた吉嗣拝山の作品は、制作された時期が江戸時代から大正時代と古いものですが、現在も人気が高くなっています。お手元に吉嗣拝山の貴重な一品をお持ちでしたら、高値が期待されますので、査定に出されることをおすすめいたします。

その他の絵画について