Vasily Surikov(ワシリー・スリコフ)の絵画買取なら高額査定の可能性!SATEeee絵画買取へ

1.Vasily Surikovの絵画作品を売りたいお客様へのご案内

ワシリー・スリコフは、19世紀後半から20世紀初頭のロシア帝国末期に活躍したシベリア出身の画家です。人物の感情や当時の風俗までを克明に描いた歴史画の大作によって評価され、専制や圧政に立ち向かった人民の姿を生々しく表現したその芸術は、のちの社会主義リアリズムの先駆ともみなされています。イリヤ・レーピンらとともに、帝国各地での芸術の普及を目指した移動派展の一員としても活躍し、高く評価されています。

このページの目次

2.Vasily Surikovという絵画作家について

ワシリー・スリコフは、イタリア、スペイン旅行でヴェネチア派の影響を受け、力動的な構図と明るい色調を用いた自身の様式を確立しました。旧来の生活様式を守るコサック集落で過ごした幼少期の経験が、スリコフの歴史画に迫真性を与えたとされ、群衆の衣装や表情といった細部へのこだわりを見ることができます。また、独特の歪められた遠近法が、登場人物の感情や行動に英雄性と永遠性を与えています。スリコフの芸術は、後進の芸術家、20世紀初頭の前衛グループ「ダイヤのジャック」などによっても先駆者と見なされました。

3.Vasily Surikovの絵画作家についての経歴など

ワシリー・スリコフは、1848年、シベリアのドン・コサック軍の古い家系に生まれます。1868年にサンクトペテルブルクに出て、1869年~1875年には帝国美術アカデミーのパヴェル・チスチャコフらから指導を受けました。1877年に救世主ハリストス大聖堂の壁画制作を依頼され、以後、モスクワに定住し、歴史画によって評判を高めます。1888年から一時故郷に戻り取材をした作品では、帝国アカデミー正会員に選出され、1897年にはスイスで取材した作品が皇帝の買い上げとなりました。1907年、ロシア芸術家協会に参加、1910年には美術学校を設立して後進の指導にも尽くし、1915年冠動脈疾患で亡くなりました。

4.Vasily Surikovの絵画代表作品とは

  • ベレゾフのメンシコフ(1883年)
  • 大貴族モロゾワ(1887年)
  • 雪の街の占領(1891年)
  • エルマクのシベリア征服(1895年)
  • アルプスを越えるスヴォーロフ(1899年)

5.Vasily Surikovの絵画作品の買取査定ポイントを解説

ワシリー・スリコフの買取査定にあたっては、まず画家の真作であるかどうかが重要なポイントです。出品歴や来歴が分かると評価の助けとなります。サイズが大きいものほど、また、素描や習作よりも念入りに描かれた油彩画が高額に査定される傾向にあります。画題や出来栄えによっても評価額は異なるでしょう。欠けやシミ、破れなどが無いかどうかも評価の基準となります。

代表的な絵画作品の査定ポイントはこちら
  • 画家の真作であるかどうか
  • 制作された技法、媒体は何か
  • サイズが大きいかどうか
  • 状態が良いか
  • 来歴や出品歴が分かるかどうか

6.Vasily Surikovの絵画作品の取引相場や参考価格

ワシリー・スリコフの作品が日本のオークションサイトなどで取引されることはほとんどありません。海外のオークションでも油彩画の大作を見かけることは稀で、素描や油彩習作がしばしば出品されています。2010年のクリスティーズのオークションでは、代表作『エルマクのシベリア征服』の習作である49.8cm×33.7cmの油彩画が、5万5,250ポンド、日本円で約780万円で落札されています。コサック男性を描いた習作風の作品(67,5cm×46cm)は、予想落札額が日本円にして約30万円~45万円に留まりましたが、幼い娘を描いた油彩スケッチ(33cm×22cm)は、画題の珍しさからか、約320万円~410万円の予想落札額が付けられていました。

7.Vasily Surikovの絵画作品の買取についてのまとめ

ワシリー・スリコフは、ロシアの最も優れた歴史画家であるだけでなく、当時の有力な芸術家を結びつけた移動派展運動のメンバーとして、西洋の強い影響下にあったロシア芸術を、その歴史と風土に基づく固有のものとして確立することに尽力しました。その影響は、同時代だけでなく、20世紀前半の前衛美術、さらには後の社会主義リアリズムにまで及んでいます。スリコフの作品をお手元にお持ちの方は、是非、一度査定のご相談をお寄せください。

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