寺内萬治郎(てらうち まんじろう)の絵画買取なら高額査定の可能性!SATEeee絵画買取へ
1.寺内萬治郎の絵画作品を売りたいお客様へのご案内
寺内萬治郎は大正から昭和にかけて活躍した、女性像を多く描いた画家です。写実的な表現が魅力で、近代洋画界において確かな地位を築きました。女性の人体を描くことを通して独自の美を追求しました。市場で売買が行われている作品も裸婦像がほとんどを占めます。本人の作品であれば時には100万円以上の価格で取引されていることもあります。
このページの目次
2.寺内萬治郎という絵画作家について
寺内萬治郎は「デッサンの神様」と呼ばれるほどで、確かな人体描写には定評があります。戦後になると一貫して裸婦像を手がけました。量感のある裸婦像は画壇でも高く評価され、日本芸術院賞を受賞するなど、輝かしい経歴を持っています。また『コドモノクニ』『幼年倶楽部』などの挿絵画家としても活躍しました。1934年、埼玉県浦和市に移住しアトリエを構えましたが、ゆかりのある「うらわ美術館」に作品が所蔵されています。
3.寺内萬治郎の絵画作家についての経歴など
寺内萬治郎は1890年に大阪市南区難波新地に生まれました。中学生の頃には松原三五郎の天彩画塾、卒業後には白馬会洋画研究所に学び、1911年には東京美術学校(現在の東京藝術大学)西洋画科に入学、黒田清輝に師事しました。1918年には文展で初入選、1925年の『裸婦』、1927年の『インコと女』によって帝展では特選を受賞。以降新文展や日展などの官展を中心に活躍し、日展では審査員も務めました。戦時中には陸軍省の従軍画家として派遣されフィリピンやセレベスへ赴きました。1951年には『横臥裸婦』によって日本芸術院賞受賞、1960年には日本芸術院会員に選出されました。東京美術学校などでも教育的立場にあたり後進の育成に力を尽くしました。1964年に亡くなりました。
4.寺内萬治郎の絵画代表作品とは
- 裸婦(1925年)
- 横臥裸婦(1951年)
5.寺内萬治郎の絵画作品の買取査定ポイントを解説
まずは本人による作であることが最も重要視されます。証明書や鑑定書があるか、来歴(入手経路や過去の持ち主など)がはっきりしていることも査定のポイントとなります。画面に汚れやシミがなく退色が少ないなど、作品の状態が良好な場合や付属の箱がある場合には、さらに査定額が高まる可能性があるでしょう。
代表的な絵画作品の査定ポイントはこちら- 本人の作品か(鑑定書や証明書はあるか)
- 保存状態は良好か(作品にダメージがないか)
- サインがあるか
- 作品の号数
6.寺内萬治郎の絵画作品の取引相場や参考価格
寺内萬治郎の真筆とされる作品は、インターネットのオークションでもたびたび出品されており、その取引価格は数十万〜数百万円ほどです。例えば女性の裸婦像を描いた『腰かける裸婦』という作品は152万3,000円で落札されたことがあります。こちらは作品の大きさが30号(91cm×73cm)、額の大きさは113×95cm、状態が概ね良好で、鑑定書があり、箱と黄袋が付属するものでした。また『裸婦』という油彩画が64万9,080円で落札されたこともあります。こちらは作品のサイズが8号(33.3cm×45.5cm)、額のサイズが57.1cm×69.2cm、画家本人のサインと鑑定書があるものでした。作品の価格は号数にも影響されますが、状態の良いものや鑑定書がある場合には取引額が高まる傾向にあります。
7.寺内萬治郎の絵画作品の買取についてのまとめ
浦和画家の代表的人物として知られ、その堅実な人物描写に定評のあった寺内萬治郎。バリエーション豊かな人体のポーズや顔の表情の描写からは寺内の実験精神も感じることができるでしょう。没後50年以上が経った今も、その作品は多くの人を引きつけています。状態の良い真作であれば、驚くような高値がつくことも考えられるでしょう。寺内萬治郎の作品をお持ちの方はお気軽にお問い合わせください。
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