寺松 国太郎(てらまつ くにたろう)の絵画買取なら査定金額を比較できる「SATEeee絵画買取」へ

1.寺松 国太郎の作品を売りたいお客様へ

寺松国太郎は、明治から昭和初期かけて画壇で重鎮であった洋画家です。小山正太郎、浅井忠に師事し、関西美術院で教鞭をとり指導にあたりました。文展、帝展にも多く入選し、文展無鑑査(審査なく展示されること。長年の実績と実力の証明にもなりました)となり、要職を歴任しています。活動は海外にも及び、フランスのサロン・フランセーヌに出品し、インターナショナル・ボザール会員となりました。太平洋画会会員、国民美術協会会員、関西美術院名誉会員であり、名実ともに実力を備えた作家です。

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2.寺松 国太郎についての解説

寺松国太郎は、日本近代洋画発展に大きく寄与しました。先駆的洋画家である浅井忠が、後身育成のため創設した関西美術院で教育者としても活躍しました。国太郎は、人物画、なかでも裸婦を主とする女性像に優れた作品を残しています。古今東西の物語、神話をテーマにしたものも少なくありません。また、「坦斎」の号で日本画も多く残しています。

3.寺松 国太郎の歴史

寺松国太郎は、1876年に岡山県倉敷市に生まれました。洋画を志し中学校を中退して田中九衛に学びます。京都の小山正太郎の画塾「不同舎」で洋画を学び、岡山の中学校で図画教師となりますが、1906年に再び上京、開設したばかりの関西美術院に入学、浅井忠に師事しました。優れた才能は早くから開花し、1907年関西美術会第6回競技会で『白川』が褒状を受賞。翌年の1908年には、文展第2回展で『眠れる女』が初入選し、同年内に若くして関西美術院教授に就任しました。1910年第4回文展『かげの人』褒状、1911年日英博覧会褒状、1913年フランスのサロン・ド・フランセーヌに入選、1914年第7回文展に『櫛』3等賞を受賞します。以後帝展、改組文展に出品を続け文展無鑑査となり、展覧会の審査員など、数々の要職を歴任しました。1943年、京都にて逝去、享年68歳でした。

4.寺松 国太郎の代表作

  • 白川
  • 眠れる女
  • かげの人

5.寺松 国太郎の作品の買取査定ポイント

寺松国太郎は功績のある優れた作家ですので、作品は高額査定が十分期待できます。鑑定書などの真筆証明があることは一番のポイントとなりますが、サインも重要です。他の査定ポイントとしては、油絵や水彩、パステル、デッサンなど、どの技法で描かれている作品か、また、シミなどの汚れがないか、ホコリを被っていないか、キャンバスに破れや穴がないかといった点が挙げられます。さらに箱や額などの付属品がありますと、査定額は上がってきますので、ご確認ください。

代表的な査定ポイント
  • 洋画の種類(油絵、水彩、パステル、デッサンなど)
  • 状態の良し悪し(汚れ、シミ、ほこり、破れなど)
  • 箱や額などの付属品が揃っているか
  • 鑑定書などの真作証明があるかどうか
  • サインの有無

6.寺松 国太郎の作品の取引相場価格

寺松国太郎の『裸婦』は、298,000円の高額が付きました。裸婦を中心とした女性像に優れた作品を残している国太郎の、貴重な真作です。制作年度は1930年、状態は概ね良好です。画寸53cmx45.5cm、額寸64cmx56.5cm、厚さ6cmです。『まひこ』も、217,000円の高値で落札されました。こちらも真作保証の作品で、画寸33.5×45.5cm、額寸横46x58cmです。このように寺松国太郎の作品は、真作であれば大変高額が期待できます。

7.寺松 国太郎の作品の買取についてのまとめ

寺松国太郎は、関西美術界で重鎮であった洋画家であり、名実ともに備えた作家です。特に国太郎の裸婦像や女性像は人気があり、現在数十万円の高額で取引されています。その他のテーマの作品でも、お持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひ一度ご相談ください。

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