高畠 達四郎(たかばたけ たつしろう)の絵画買取なら高額査定の可能性!SATEeee絵画買取へ

1.高畠 達四郎の絵画作品を売りたいお客様へのご案内

高畠達四郎は、大正から昭和にかけて活躍した洋画家です。フランス留学時には、ナビ派の画家たちが指導するアカデミー・ランソンで学び、サロン・ドートンヌやサロン・デ・ザンデパンダンなどに出品。帰国後、三岸好太郎や林武らと独立美術協会を発足し、以後、独立展を中心に作品を発表しました。風景画を主として制作した高畠は、自然と向き合ったときの素直な印象を明るい色彩で描き出し、その素朴で詩情豊かな作品が広く人気を集めています。

このページの目次

2.高畠 達四郎という絵画作家について

高畠達四郎は、本郷洋画研究所で学び、渡仏前から光風会展や帝展で作品を発表していました。滞仏初期には、モーリス・ドニらナビ派の画家に教えを請い、後期には、アンドレ・ドランやモイーズ・キスリングから影響を受けました。その間、藤田嗣治、福沢一郎らと交友し、帰国後には、梅原龍三郎に国画会への出品を推挙されるほどの実力を身につけています。戦後は、疎開先の熱海に留まり、たびたび渡欧。サンパウロ・ビエンナーレに『熱海風景』を出品、『暮色』が毎日文化賞を受賞するなど、高く評価されています。

3.高畠 達四郎の絵画作家についての経歴など

1895年に東京・神田に生まれた高畠達四郎は、1913年に慶應義塾大学理財科に入学するも、翌年、画家を目指して中退。1919年には光風会に、1921年には帝展に初入選を果たし、渡仏します。1928年に帰国し、翌年には国画会に出品し会員に推挙されましたが、1930年に独立美術協会の創立に参加すると、以降は、独立展を主な発表の場とします。1945年に空襲でアトリエが焼失し、熱海に転居。1953年の再渡仏以後は、しばしば訪欧し、国内外の様々な風景を描きました。1964年からは武蔵野美術大学教授を務め、1976年、回顧展を開催した年に80歳で亡くなりました。

4.高畠 達四郎の絵画代表作品とは

  • 幻想のパリ(1965年)
  • 幻想のパリ(1965年)
  • オーヴェル古寺(1967年)

5.高畠 達四郎の絵画作品の買取査定ポイントを解説

高畠達四郎の買取査定では、まず真作であることが重要です。表面のサイン、裏書などを確認してください。サイズが大きいものほど高く査定される傾向にあります。折れや欠けがないかなど保存状態も高額査定のポイントです。本や雑誌の掲載や展覧会への出品歴があるとより評価額が上がる可能性があります。

代表的な絵画作品の査定ポイントはこちら
  • 高畠 達四郎の真作であるかどうか
  • サイズは大きめであるか
  • 欠けや変色がないかどうか
  • 鑑定書があるかどうか
  • 来歴や出品歴、掲載歴がわかるか
  • タトウや箱があるか

6.高畠 達四郎の絵画作品の取引相場や参考価格

高畠達四郎の作品はネットオークションなどでも頻繁に取引がなされ、価格も手頃になっています。熱海や箱根など作例の多いものでは、10万円以下の落札額が見受けられます。一方、作者自身の裏書によってイタリアで描かれたことが分かり、遺族による証明書が付与された8号サイズ(38cm×45.5cm)の風景画『ヴァンティミル(伊太利)』を例に見ると、日動画廊での出品カタログや新聞の掲載歴が判明しており、落札額は25万円となっています。こちらの作品は、額のサイズが60cm×67.5cmで額装に多少のキズがありますが作品の状態は良好です。明るい色彩と素朴な雰囲気といった多くの人に愛される作風でありながらも、比較的手の届きやすい作家と言えるでしょう。

7.高畠 達四郎の絵画作品の買取についてのまとめ

独自のプリミティブな作風を確立し、戦後の具象絵画のなかでも高い人気を集めた高畠達四郎の作品は、風景画の小品が数多く取引されており、手頃であるからこそ所有したいと考える人も多いのではないでしょうか。サイズや出来栄え、展覧会出品歴などによっては、思わぬ高額査定も期待できますので、作品をお持ちの方はぜひ一度、査定のご相談をお寄せください。

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