下村 為山(しもむら いざん)の絵画買取なら査定金額を比較できる「SATEeee絵画買取」へ

1.下村 為山の作品を売りたいお客様へ

下村為山は、愛媛県生まれの画家です。はじめは洋画家を志し上京しますが、正岡子規に出会うと、日本画に興味を持ち俳画を描くようになりました。西欧的写実性をあわせ持つ俳画で評価を得て俳誌『ほととぎす』の挿画も描いています。俳画の大家である下村為山の作品は優れた逸品として評価も高く、高額査定が期待できます。

このページの目次

2.下村 為山についての解説

下村為山は、松山藩氏の家に生まれ、幼少の頃より絵を得意としました。上京し洋画を学び、1890年内国勧業博覧会で受賞するなど洋画壇に置いて新鋭の洋画家として将来を嘱望される存在になりましたが、正岡子規に出会い、日本の伝統絵画に惹かれるようになります。ついに日本画に転向し、俳句的画趣と西欧的写実性をあわせ持つ俳画を描きました。俳画の大家として俳誌『ほととぎす』の挿画も描いています。松山市章のデザインは下村為山によるものです。

3.下村 為山の歴史

下村為山は1865年愛媛県に生まれました。幼少より絵を好み18歳で洋画家を志し上京します。本多錦吉郎の画塾に入塾し、のちに小山正太郎の元で洋画を学びました。1890年内国勧業博覧会で『慈悲者の殺生図』が二等妙技賞を受けると、新鋭洋画家として注目されました。その頃、同郷の俳人・正岡子規に出会います。正岡子規との関係は、門弟として俳句を教わりながら、絵に関しては師匠格として交わり、互いに啓発し合うようになります。日本画に目覚めた下村為山は、西欧の写実性を併せ持つ俳画を描くようになりました。正岡子規の没後は帰郷し、「俳句は日本特有の文芸、俳画もまた日本芸術の光」といい、独自の画境を開拓し、現代日本水墨画に新境地を開きました。1949年没、85歳でした。

4.下村 為山の代表作

  • 慈悲者之殺生図

5.下村 為山の作品の買取査定ポイント

下村為山の作品の買取査定をする際のポイントとしては、本人の作品であることが重要なポイントです。また作品はとても古いものですので、鑑賞に耐えられるようシミや折れ、汚れなどができるだけない方が良い査定額となります。また、絵画でしたら箱や共シールが貼られているとなお良いでしょう。

代表的な査定ポイント
  • 保存状態が良いこと
  • 本人の落款、印あること
  • 箱や共シールがあること
  • 箱や箱書があること

6.下村 為山の作品の取引相場価格

下村為山は俳画が有名なので、オークションを見ると水墨画や俳画が多く出品されています。『蛙に墨竹図 俳句賛』の作品が落札された際には19件の入札があり、13,100円の値で落札されました。掛け軸作品ではありましたが、本紙サイズは130cm×25cm、軸装は214cm×37cmで作品の全体的に折れや傷、シミなどが確認できます。肉筆として共箱も付属された作品でした。その他にも『自筆色紙 福寿草』という色紙に、福寿草の絵が墨彩で描かれている作品は、40,000円で販売されています。サイズは21.2cm×18.1cmの色紙サイズで、多少シミはあるものの裏に蔵印があります。人気がある作家ですので、小品でも高値がつく可能性が十分にあるでしょう。

7.下村 為山の作品の買取についてのまとめ

下村為山は正岡子規と親交があり、それぞれ写生と俳句の視点から論じ合い、お互いを啓発しあった仲でした。正岡子規亡き後は俳画を研究し俳画家として名声を得ました。俳誌『ほととぎす』の挿画にも携わっています。もともと洋画を描いていたこともあり、西欧的写実性を合わせ持つ絵は高く評価されており、特に水墨画や俳画が人気です。俳画は色紙サイズも多く、下村為山は人気があるため小さめの作品でも高額査定が期待できます。もし、下村為山の作品を所有していらっしゃいましたら、一度査定して見ることをおすすめします。

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