小山田 二郎(おやまだ じろう)の絵画買取なら高額査定の可能性!SATEeee絵画買取へ
1.小山田 二郎の絵画作品を売りたいお客様へのご案内
小山田二郎は1914年生まれの画家です。戦後の日本の画家の中では異端の存在として知られます。瀧口修造の推めで開催した個展によって注目を集めるようになりましたが、しだいに社会とは距離を置き、特定の画廊でのみ作品発表を行うようになりました。本人の作で作品にダメージが少ないものには高値がつく可能性があります。
このページの目次
2.小山田 二郎という絵画作家について
社会への矛盾や闇の存在をあぶり出したような非現実的な世界観は今もなお多くの人を魅了しています。遠い世界のことを描いているようでいて、作品にたびたび登場する異形の生き物たちは、私たちが暮らす世界の使者として、この世のありようを提示しているようにも感じられます。小山田二郎の作品は見れば見るほど、その魅力に引きつけられていきます。アトリエを構えた地、府中市の美術館で、2014年に個展が開かれ再び注目を集めています。作品は愛知県美術館、国立国際美術館、東京国立近代美術館などに収蔵されています。
3.小山田 二郎の絵画作家についての経歴など
小山田二郎は1914年、中国安東県に生まれました。2歳の時、スタージ・ウェーバー症候群と呼ばれる難病を発症、しだいに外見にコンプレックスを抱くようになりました。1919年遠縁の日本画家、小堀鞆音に水彩画を学び、画家を志望していましたが父親に反対されます。1934年、帝国美術学校(現在の武蔵野美術大学)図案科に入学。1935年、父親に告げず西洋画科へ転入しますが、翌年に知られたことで援助を絶たれてしまい、やむなく中退。1945年、空襲で当時住んでいたアパートが全焼し、それまでに描いたすべての作品を失いました。1947年には自由美術家協会に入会、1952年、38歳の時に瀧口修造の推薦によってタケミヤ画廊で初個展を開催しました。これがきっかけで社会の注目を集めるようになりました。1960年からは府中市で制作を続けていましたが、1971年57歳の時に家族を置いて突如失踪。以後の活動は特定の画廊でのみ行うようになりました。1991年に77歳で亡くなりました。
4.小山田 二郎の絵画代表作品とは
- 愛(1956年)
- はりつけ(1959年)
- アパートの子供(1961年)
5.小山田 二郎の絵画作品の買取査定ポイントを解説
まず小山田二郎本人による作品であることが一番のポイントです。証明書や鑑定書があれば査定額に影響します。作品の入手経路がはっきりしているかも査定のポイントとなります。保存状態が良好な場合や箱などの付属品がある場合には、さらに査定額が高くなる可能性があるでしょう。
代表的な絵画作品の査定ポイントはこちら- 本人の作品か(鑑定書や証明書はあるか)
- 保存状態は良好か(作品にダメージがないか)
- サインがあるか
- 作品の号数
6.小山田 二郎の絵画作品の取引相場や参考価格
インターネット上のオークションでは、水彩画や油彩画がたびたび出品されています。水彩画であれば3万円、油彩画は号数にもよりますが12〜15万程度で取引されています。例えば真作保証のなされた『夏の虫』という油絵は、15万4,440円で落札されました。こちらは1984年に制作されたもので、状態が良く、サイズが40cm×31cmほどで、箱と黄袋もついたものでした。
7.小山田 二郎の絵画作品の買取についてのまとめ
難病を患ったことや全作品の焼失、愛人との失踪など、波乱に満ちた人生を送った小山田二郎。その生き様に注目されることも多いですが、作品に描かれた幻想世界の中の登場人物たちは恐ろしく、また時にユーモラスで、力強い魅力を放つ雄弁な存在です。小山田二郎の真作だと鑑定されると数十万の値がつく可能性もあります。さらに状態の良いものや代表作である場合には査定額が上がる可能性があります。小山田二郎作品をお持ちの場合はぜひお問い合わせください。
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