岡本 唐貴(おかもと とうき)の絵画買取なら高額査定の可能性!SATEeee絵画買取へ

1.岡本 唐貴の絵画作品を売りたいお客様へのご案内

岡本唐貴は戦前のプロレタリア美術運動の騎手であり、前衛絵画の発展に貢献した画家として知られています。小林多喜二とも交流があり、拷問死した小林のデスマスクを手がけたのは岡本でした。劇画「カムイ伝」の作者、白土三平の父としても知られる岡本の絵画作品は、高値での取引が期待できます。

このページの目次

2.岡本 唐貴という絵画作家について

もともとキリコやカッラなどの絵画に影響を受けた岡本唐貴でしたが、その作風は時代にともなってどんどん写実的なものとなり、多くの群像画や写生画を残しています。戦前の労働運動を描くその重厚な写実画は、時代の空気をはっきりと捉えており、プロレタリア美術運動の第一人者としての岡本の功績をうかがうことができます。岡本は政治的なメッセージが強い画家として評される一方で、芸術と政治の関係性について常に悩み抜いたといわれています。

3.岡本 唐貴の絵画作家についての経歴など

1903年に岡山県倉敷市で生まれた岡本唐貴は、15歳だった多感な時期に米騒動や労働争議を目にし、大きく影響されたと言われています。1920年に浅野孟府とともに上京。原宿に住みながら、当時は油絵と同時に彫刻も学んでいました。1923年に前衛集団アクションに参加し、前衛芸術運動にて力を発揮していきます。1924年には三科造形美術協会、1926年にはグループ造型と次々に芸術家グループを結成、改組していきますが、1929年に発足させたのが日本プロレタリア美術家同盟です。この運動に参加したメンバーの一人に映画監督の黒澤明であり、岡本は黒澤に絵を教えています。戦前には投獄され、拷問を受けたこともあり、そのため1934年からは傷が元で5年間の闘病生活を余儀なくされています。戦後は1946年に矢部友衛、寺島貞志らと現実会を結成し、日本美術会の結成にも参加しました。ソ連の訪問なども行い、生涯にわたって活発に活動しましたが、1986に急性心不全で他界しています。82歳でした。

4.岡本 唐貴の絵画代表作品とは

  • ペシミストの祝祭
  • ルンペンプロレタリアA
  • 争議団の工場襲撃
  • みのり

5.岡本 唐貴の絵画作品の買取査定ポイントを解説

岡本唐貴の絵画は希少であり、オークションサイトなどで出回っているものでも、保存状態がいいものほど高額で取引されているようです。また、岡本は絵画の画面上にローマ字のサインをつけているため、本人の作品と客観的に鑑定できればよい査定が望めます。額などと一緒に保存されていると、さらに高い価値が見込めます。

代表的な絵画作品の査定ポイントはこちら
  • 保存状態は良好か
  • 画面上にサインがあるか
  • 鑑定書がついているか
  • 額などと保存されているか

6.岡本 唐貴の絵画作品の取引相場や参考価格

オークションサイトでは縦91.5cm、横73cmの油彩絵画『百合とあざみ』が92,000円で取引されていました。また、同じく油彩画では縦46cm、横54cmの『風景画』が32,500円で取引されています。希少な画集からの複写を額装したものも、20,000前後の価格で取引されているようです。

7.岡本 唐貴の絵画作品の買取についてのまとめ

戦前の前衛芸術、そしてプロレタリア芸術を発展させた岡本唐貴は日本芸術界にとって非常に重要な存在であり、その人生は波乱に満ちたものでした。残された作品は岡本の視点を通した戦前日本の記録として、とても貴重なものです。後に活躍する息子の白土三平、岡本が絵を教えた黒澤明への影響は大きく、現在も岡本の絵画は根強い人気を誇っています。絵画をご所有の方は、査定をお試しになることをおすすめします。

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