織田 杏斎(おだ きょうさい)の絵画買取なら高額査定の可能性!SATEeee絵画買取へ

1.織田 杏斎の絵画作品を売りたいお客様へのご案内

織田杏斎は、明治期の名古屋を中心に活躍した日本画家です。東北から熊野や灘まで各地を訪ね歩き、名勝旧跡を描いた作品を数多く残しています。明治~大正期の画家の番付に繰り返し登場し、内国絵画共進会で功労褒賞を得るなど、その画術は高く評価されました。

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2.織田 杏斎という絵画作家について

織田杏斎は、本名を鎌吉と言い、名は啓、字は子道、別号に緑天館があります。父共樵に学び、のちに張晋斎の下で腕を磨きました。加えて、中国の明清時代や日本の過去の名作を研究して、北宗画系と南宗画系の絵画を融合し一家を成しました。三男で画家の織田杏逸がまとめた『杏斎翁遺墨帖』は、杏斎の生涯を知る貴重な資料となっています。

3.織田 杏斎の絵画作家についての経歴など

織田杏斎は、1845年の名古屋で絵師織田共樵の家に生まれ、1862年に共樵が亡くなると、張晋斎に弟子入りします。1874年からは一時写真館を営んだものの、やがて絵画に専念。1884年には第2回内国絵画共進会で功労褒賞を獲得しています。1880年代より活発に旅をし、各地の名勝を写生して巡りました。名古屋での共進会や品評会で審査員を務め、七宝工芸に図案を提供、北斎漫画を再版するなど精力的に活動し、1911年に病に倒れ亡くなりました。

4.織田 杏斎の絵画代表作品とは

  • 夏雨初晴図
  • 青緑前後赤壁図
  • 織田信長像
  • 鶴の群舞の刺繍下絵

5.織田 杏斎の絵画作品の買取査定ポイントを解説

織田杏斎の買取では、画家の真作であることが重要です。落款や印章が確認できると良いでしょう。サイズが大きいものほど、また出来栄えの良いものほど高額の査定が期待できます。シミや焼けがないかといった保存状態や、箱書きなど付属品も査定価格を左右するでしょう。

代表的な絵画作品の査定ポイントはこちら
  • 織田杏斎の本物の作品かどうか
  • 保存状態は良いか
  • 欠け・シミ・折れがないか
  • サイズは大きめであるか
  • 出来栄えが良いかどうか
  • 箱の有無

6.織田 杏斎の絵画作品の取引相場や参考価格

織田杏斎の作品は愛知、岐阜の画廊を中心に比較的頻繁に取引がありますが、買取価格はあまり公開されていません。岐阜の画廊では雪の銀閣寺を描いた臨場感溢れる優品に12万円の販売価格が付けられています。古裂会第95回オークションでは、本紙が45cm×33cmの紙本の小品『柳鷺画幅』に、ヤケやシミがあったにも関わらず3万円以上という落札予想額が付されました。

7.織田 杏斎の絵画作品の買取についてのまとめ

織田杏斎は、中国や日本の過去の名作を模写し、写真館を営みながら西洋画を学ぶなど研究熱心であったことで知られ、中京の画壇を代表する絵師でした。画廊を中心に取り扱いがあるようですので、お手元に作品をお持ちの方は、一度査定に出されていはいかがでしょうか。

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