野見山 暁治(のみやま ぎょうじ)の絵画買取なら高額査定の可能性!SATEeee絵画買取へ
1.野見山 暁治の絵画作品を売りたいお客様へのご案内
野見山暁治は90歳を過ぎた今も精力的に創作活動を続ける、日本でも最長老の画家の一人です。荒々しく、力強い筆致ながら、繊細で計算された色彩に定評がある抽象画や、時代の風景や心情を映し出す具象画を多数発表しています。東京芸術大学の教授としても活躍し、第42回芸術選奨文部大臣賞や毎日芸術賞受賞。文化勲章も受章するなど、戦後の日本絵画を先導してきた功労者として知られる野見山の作品は、高額で取引されています。
このページの目次
2.野見山 暁治という絵画作家について
故郷の福岡で目にした炭鉱労働者たちの寂しげな姿を具象的に表現した『炭鉱(A)』(1951年)のような具象的な作品や、激しい筆使いと綿密な色彩で心のなかのイメージを表現した『かけがえのない空』(2011年)などの抽象的な作品からは、常に探究心をもって絵画に望んできた野見山暁治の姿勢がうかがえます。
3.野見山 暁治の絵画作家についての経歴など
野見山暁治は1920年、福岡県穂波村に生まれました。画家を志して上京し、東京美術学校に入学。1943年に卒業しますが、徴兵され満州へ。終戦後、1952年に渡仏しました。1955年にはサロン・ドートンヌの会員に就任します。1958年に第2回安井賞受賞を受賞し、1964年からは東京芸術大学助教授として活動。1972年には大学教授として就任しています。1983年には北九州市立美術館で「野見山暁治展」が開催され、1992年、芸術選奨文部大臣賞を受賞しました。2000年に文化功労者に選ばれた後の活躍もめざましく、2008年には東京メトロ・明治神宮前のステンドグラス『いつかは会える』壁画が完成。2011年にはJR・博多駅ステンドグラス『海の向こうから』壁画を完成させました。2014年には文化勲章を受章し、現在も活発な活動を続けています。
4.野見山 暁治の絵画代表作品とは
- 炭鉱(A)(1951年)
- 岩上の人 (1958年)
- かけがえのない空(2011年)
- 今がチャンス(2016年)
5.野見山 暁治の絵画作品の買取査定ポイントを解説
現役で活躍中である野見山暁治の作品は非常に点数が多く、油彩画のほかにペン画や水彩画、リトグラフなど種類も豊富です。その中でも特に初期に描かれた具象画には高値がつく傾向があります。作品に直筆のサインなどがあればさらに高い評価が得られます。絵の具のひび割れや汚れ、剥がれは価値を下げてしまいますので、保存状態にはご注意ください。
代表的な絵画作品の査定ポイントはこちら- 初期の具象画にはかなりの高値がつく傾向あり
- 作品にサインがあれば高評価
- 絵具のひび割れや汚れ、剥がれが少ないこと
- 全体的に保存状態が良いこと
6.野見山 暁治の絵画作品の取引相場や参考価格
アートギャラリーの取引サイトではパリの風景を描いた縦45.5cm、横53.0cmの油絵作品『ポンヌフ界隈』が200万円の価格で販売されています。また、別のギャラリーでは縦37cm、横44cmの抽象画『白い丘』に85万円の価格がついています。そのほか、水彩画は20万円~40万円の価格で取引されており、本人のサイン入りリトグラフなどにも50,000円~100,000円前後の価格がついています。
7.野見山 暁治の絵画作品の買取についてのまとめ
今も衰えを知らず、さらに自由な表現を求めて創作活動を続ける野見山暁治は、まさに戦後現代美術の生き証人です。その絵画の芸術的価値もさることながら、野見山が日本の絵画の進歩のために果たした役割は数知れません。野見山の作品群は人気が高く、画廊などでも高額で取引されており、買取でも高い査定額が付くことが予想されます。 所有されている方は、ぜひ査定をおすすめします。
その他の絵画について
お手持ちの品物名や作者などご入力し検索をすると、品物の取引相場価格や品物情報などを閲覧する事ができます。