難波田 史男(なんばた ふみお)の絵画買取なら高額査定の可能性!SATEeee絵画買取へ

1.難波田 史男の絵画作品を売りたいお客様へのご案内

難波田史男は1941年に生まれた画家です。約15年の短い画家人生の中で多くの作品を残し、水彩、油彩、版画作品をあわせるとその数は2,000点におよびます。繊細な線と透明感のある色彩によって詩情豊かな作品を次々と生み出していきました。作品はオペラシティアートギャラリーと世田谷美術館にまとまった数が収蔵されており、美術マーケットで作品が売りに出されることが少ないため、希少価値もあります。真作であれば高額査定の可能性が期待できます。

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2.難波田 史男という絵画作家について

読書体験やクラシック音楽から着想を得て作られた作品もあり、トルストイの小説の名前を使った『イワンの馬鹿』や、『トロンボーンの行進曲』『サンメリーの音楽師』などの題がついているものもあります。細い無数の線と色彩が広がる画面には、創造のエネルギーが充満し、見る人を自由な気持ちにさせてくれる力強い魅力があります。存命中は無名の画家でしたが、近年オペラシティアートギャラリーや世田谷美術館で大規模な回顧展も開催されたことにより、その類稀な才能が広く知られてゆくようになりました。また日記やノートに残された文章は著書『終着駅は宇宙ステーション』にまとめられています。

3.難波田 史男の絵画作家についての経歴など

難波田史男は1941年東京都世田谷区経堂に、日本の抽象絵画の先駆者とも言われる難波田龍起の次男として生まれました。1957年には早稲田大学高等学院に入学、読書に耽る青年期を過ごしました。1960年文化学院美術科に入学しますが、1962年父親の知人の勧めで、文化学院を退学、独自の創作に熱心に取り組むようになります。その後、1965年早稲田大学第一文学部(美術専攻)入学。学生運動による学生間の対立の狭間で苦しみ、懊悩の日々を過ごしながらも、作品を作り続けました。1967年には東京新橋の第七画廊にて初の個展を開催。1974年、九州旅行の帰り道、瀬戸内海にてフェリーより転落し、32歳の若さでこの世を去りました。

4.難波田 史男の絵画代表作品とは

  • イワンの馬鹿(1964年)
  • 無題(1966年)
  • トロンボーンの行進曲(1967年)

5.難波田 史男の絵画作品の買取査定ポイントを解説

査定にあたっては、まず真作であることが最も大切なポイントです。そのため証明書や鑑定書がある場合は高額査定の可能性があります。来歴(誰から購入したかなど)がはっきりしているかも査定のポイントとなります。また作品の状態、本人のサインの有無も査定価格に影響します。

代表的な絵画作品の査定ポイントはこちら
  • 真作であること(鑑定書または証明書がある)
  • 作品にダメージなどがないか
  • 作品に本人直筆のサインがあるかどうか
  • 作品の大きさはどれくらいか

6.難波田 史男の絵画作品の取引相場や参考価格

難波田史男の作品はまとまった数が美術館にコレクションされているため、市場に出回る機会はそう多くありません。希少価値がある上、作品をぜひ手に入れたいと願うコレクターも存在することから、思いがけない高値がつく可能性もあります。例えば『秋の詩』という題名の紙に水彩とペンで描かれた作品がオークションに出品された際には、60万7,500円で買い手がついた例があります。こちらは1971年の作品で、本人のサインが入っており、画面の大きさが21.3cm×32.5cm、額の大きさが48cm×58.8cmで、状態が良好なものでした。真作であることが前提ですが、本人の作品であれば査定額が数十万円となる可能性もあります。

7.難波田 史男の絵画作品の買取についてのまとめ

短い人生を駆け抜けるように、作品制作に没頭し2,000点あまりの作品を描き上げた難波田史男。既存の絵画の方法論にとらわれることなく作り上げられた、独自の空想世界が広がる作品の数々は、没後40年以上が経過した今も、多くの人に新鮮さと驚きをもって受け入れられています。近年開催された回顧展によって、難波田史男の作品の魅力を改めて知った方も多く、今後さらに人気が高まる可能性があります。真作であることが前提ですが、ダメージの少ない状態の良好な作品には思いがけない高値がつくこともあります。作品をお持ちの方で、査定に少しでもご関心のある方はお問い合わせください。

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