黒田 清輝(くろだ せいき)の絵画買取なら高額査定の可能性!SATEeee絵画買取へ

1.黒田 清輝の絵画作品を売りたいお客様へのご案内

黒田清輝は明治に活躍した洋画家で、フランスから日本へ本格的な西洋絵画をもたらし「日本近代洋画の父」とも呼ばれています。アカデミックな様式に印象派の外光表現を取り入れた、明るく爽やかな黒田の絵画は、暗く堅苦しい表現が主流であった明治中頃の洋画界に衝撃を与えました。滞欧時の代表作『読書』や重要文化財の『湖畔』など、優れた作品を数多く残しています。日本の洋画史における重要人物であるだけでなく、女性や花々、風景など親しみやすい画題を多く描いた黒田の作品は高額な査定が期待できます。

このページの目次

2.黒田 清輝という絵画作家について

黒田清輝は法律を学ぶために渡ったフランスで、山本芳翠、久米桂一郎らと出会い、ラファエル・コランの下で絵画を学びました。滞欧中にはサロンに入選するほどの実力を発揮し、帰国後には何気ない日常を捉えた『湖畔』や明るく伸びやかな風景画によって、後進に大きな影響を与えます。のちに、西洋における歴史画に匹敵する大作の試み『昔語り』や、裸婦像によって抽象的な概念を表現した『智・感・情』といった「構想画」にも取り組みました。

3.黒田 清輝の絵画作家についての経歴など

1866年、鹿児島に生まれた黒田清輝は、1884年に法律を学ぶためパリに渡ります。翌年、ラファエル・コランへ師事し、才能を認められた黒田は、絵画に身を捧げる決意をします。1893年、『朝妝(ちょうしょう)』がサロンに入選すると、約10年ぶりの帰国の途へ着きます。数年後に開校した「天真道場」では久米桂一郎とともに後進の指導を行い、1896年には藤島武二らとともに「白馬会」を発足します。1898年には東京美術学校の教授に就任し、多くの著名な画家を育てました。晩年には、洋画家初の帝室技芸員に選出され、帝国美術院院長や貴族院議員などを歴任し、1924年に58歳でその生涯を閉じます。

4.黒田 清輝の絵画代表作品とは

  • 湖畔(1897年)
  • 湖畔(1897年)
  • 智・感・情(1899年)

5.黒田 清輝の絵画作品の買取査定ポイントを解説

黒田清輝作品は、真作であればどんなものでも高額の査定が期待できますが、サイズが大きいものであるほど、あるいは女性など人気のモチーフであるほど高値がつくようです。雑誌や本に掲載されていたり、展覧会出品歴があったりすると、買取価格が上がりやすいでしょう。洋画史上の重要な人物であり、人気もありますので、作品をお持ちの方はぜひ一度査定をおすすめします。

代表的な絵画作品の査定ポイントはこちら
  • 本物の黒田 清輝の作品かどうか
  • 剥落やカビなどのダメージがないか
  • 大きめのサイズかどうか
  • 鑑定書があるかどうか
  • 元の持ち主や展示の記録があるかどうか
  • 作品名などを記した箱があるか

6.黒田 清輝の絵画作品の取引相場や参考価格

黒田清輝の真作『天橋立』では、101,000円という価格で落札されています。画面のサイズが45cm×61cm、額寸は67cm×81㎝で画面にヨゴレがありますが、その他は良好な状態な天橋立を描いた油彩画となります。また、テレビ東京の「開運!なんでも鑑定団」2010年4月27日の放送回で、風景画の小品に折れの入った状態の作品が出品されました。作品の裏書から、黒田が仕事を依頼していたという額縁職人の長尾健吉の所蔵であったことが分かったために、800万円という高額の査定結果が出されたこともあります。人気があり評価も高い黒田作品は、真作であれば高値での査定が期待できるでしょう。

7.黒田 清輝の絵画作品の買取についてのまとめ

「日本近代洋画の父」として黒田清輝の作品は、明治中期以降の日本洋画を方向づけたと言っても過言ではありません。いずれの作品も需要があり人気もあるため高額査定が期待できます。風景画の小品に800万円の値がついたことから、素描や板絵などにも、モチーフや制作時期、サイズによって差はあるものの高値がつく可能性は充分にあると考えていいでしょう。もし黒田清輝の作品をお持ちの方はぜひ一度お問い合わせください。

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