児島 虎次郎(こじま とらじろう)の絵画買取なら高額査定の可能性!SATEeee絵画買取へ
1.児島 虎次郎の絵画作品を売りたいお客様へのご案内
児島虎次郎は1881年に生まれた洋画家で、日本における印象派画家の代表作家としても知られるほか、西洋名画の収集にも大きく貢献した人物です。単なる西洋絵画の模倣ではなく、日本独自の表現を確立しようとしました。豊かな色彩感覚が作品の魅力で、時にはチューブから出した絵の具をそのまま画面に塗りつけ、絵の具の色が濁らないようにしたと言われます。本人の作で状態の良い作品は数百万円の高額査定の可能性が期待できます。
このページの目次
2.児島 虎次郎という絵画作家について
児島虎次郎は近代日本の洋画界にとって非常に重要な人物です。東京美術学校(現在の東京藝術大学)在学時より類まれな才能を発揮し、2年飛び級して卒業したほどです。ヨーロッパへの留学を経て、特にベルギーで学んだ経験を生かし、光線の表現や印象派の技法を日本の風土において取り入れました。鮮烈な色彩が印象的な作品を多く残しています。晩年には帝展審査員や明治神宮聖徳記念絵画館の壁画にも取り組みました。大原孫三郎と生涯を通じて親交があり、渡欧時にはモネやゴーギャンなどの名画を購入しましたが、それらはやがて大原美術館のコレクションとして収蔵されることになります。多くの日本人が西洋絵画に直に触れられる機会を作った功績も評価されています。
3.児島 虎次郎の絵画作家についての経歴など
児島虎次郎は1881年、岡山県川上郡下原村(現在の高梁市成羽町下原)に生まれました。1910年に画家をめざし上京、翌年東京美術学校(現在の東京藝術大学)西洋画科選科に入学。倉敷の実業家、大原家の奨学生となりました。1904年には異例のスピードで同校卒業。1908年ヨーロッパに渡り翌年ベルギーのゲント美術アカデミーに入学します。1912年には同校を首席で卒業、その年のうちに帰国。大原孫三郎の依頼により絵画を買い付ける目的で数度渡欧、モネやゴーギャン、エル・グレコなどの泰西名画の収集に貢献しました。1929年、47歳で没。
4.児島 虎次郎の絵画代表作品とは
- なさけの庭(1907年)
- ベゴニヤの畠(1910年)
- 朝顔(1916年〜1921年)
5.児島 虎次郎の絵画作品の買取査定ポイントを解説
その知名度と人気から、贋作も多く出回っています。査定にあたっては、児島虎次郎の真作であることが最も大切なポイントです。そのため証明書や鑑定書がある場合は高額査定の可能性があります。来歴(入手経路や過去の持ち主など)がはっきりしているかも査定のポイントとなります。また作品のコンディション、署名の有無も査定価格に影響します。
代表的な絵画作品の査定ポイントはこちら- 真作であること(鑑定書または証明書がある)
- 作品にシミや汚れ、破けなどがないか
- 作品に署名があるか
- 作品の大きさはどれくらいか
6.児島 虎次郎の絵画作品の取引相場や参考価格
大原孫三郎による援助を受けながら絵を描いていたことから、児島虎次郎の作品の多くは大原美術館に収められています。そのため作品が売りに出される機会はそう多くありません。過去クリスティーズのオークションでは『庭』という油彩画に1万2,650米ドル(約140万円)の値がつきました。こちらはサイズが80.6cm×65.4cmで、点描法が用いられた作品でした。また2011年に人気鑑定番組で児島虎次郎の作品が取り上げられた際には、アトリエ周辺の雪景色を描いた作品に500万円の値がつけられました。真作であれば1枚の絵に数百万円の高値がつくことが予想されます。
7.児島 虎次郎の絵画作品の買取についてのまとめ
明るい光が注ぐ印象派の表現を巧みに取り入れたその作品は、時を超え不動の人気があります。近代日本洋画界において、重要な役割を果たした人物であることに加え、作品が出回ることの少ない画家であることから、驚くような高値がつく可能性もあります。本人の作であることがまずもっとも重要ですが、状態が良ければさらなる高額査定に結びつきます。
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