小林 清親(こばやし きよちか)の作品を高価買取!絵画作家の査定ポイントを徹底解説!

1.小林 清親の作品を売りたいお客様へ

小林清親は、「最後の浮世絵師」「明治の広重」とも称される明治時代の高名な浮世絵師、版画家です。浮世絵に遠近法や陰影法などの西洋絵画の手法を取り入れ、「光線画」と呼ばれる新しい表現様式を確立しました。また、立体的で陰影に富んだ花鳥画や風刺的な作品も描いており、時代を超えて高い人気を誇っています。査定でも高額での取引となる可能性が十分にあります。

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2.小林 清親についての解説

小林清親は、明治浮世絵界の三傑と呼ばれるほど実力のある浮世絵師でした。洋画を学ぶにあたっては、当時のイギリスの週刊新聞『イラストレイテド・ロンドンニュース(絵入りロンドン新聞)』紙の特派画家だったチャールズ・ワーグマンに師事したとされ、日本画は河鍋暁斎などに学んでいます。光と影を巧みに描写し抒情豊かな世界観を表現した「光線画」の傑作である『東京名所図』で称賛を浴び、さらに、「清親ポンチ」と呼ばれる風刺漫画や、歴史画などでも多くの傑作を残しています。

3.小林 清親の歴史

小林清親は、1847年に幕府の米蔵役人の末子として江戸に生まれました。1862年、父の死去に伴い家督を相続し、明治維新後の1869年には、主の徳川家に従い静岡に転居しました。その後、1874年に画家を志し上京し、画法の習得と制作に励みました。1876年、洋風木版画の『東京江戸橋之真景』などを出版し浮世絵師としてスタートすると、翌年の1877年からは江戸から東京へと移ろう風景を描いた『東京名所図』シリーズを出版し、一躍脚光を浴びます。また、油絵に迫るような写実的な花鳥画を生み出し、木版画の可能性を開きました。1881年以降は風刺漫画や日清・日露戦争の戦争画、新聞挿絵などでも活躍し、1915年、享年68歳で逝去しました。

4.小林 清親の代表作

  • 小梅曳船夜図(1876年)
  • 東京新大橋雨中図(1876年)
  • 内国勧業博覧会瓦斯館(1877年)
  • カンバスに猫(1880年)
  • 柿に目白(1880年)

5.小林 清親の作品の買取査定ポイント

小林清親の木版画は人気が高いため、後年どこかの会社で販売された複製画の存在が指摘されています。そのため、高額での買取には、作品制作当時に摺られたオリジナルプリントであることが条件になります。出版年の表示があれば、当時に摺られたことの証明になり、高額の査定額となる可能性が高くなります。また、「光線画」として一世を風靡した東京の風景画や花鳥をモチーフにした作品の人気がとくに高く、高値で取引されているようです。そのため、作品のモチーフも重要なポイントです。

代表的な査定ポイント
  • 出版年の表示があるか
  • 人気のある東京の風景や花鳥をモチーフにした作品か
  • 版画の摺りは鮮明か
  • 保存状態が良いものか
  • 額などの付属品が揃っているか

6.小林 清親の作品の取引相場価格

現在、一般市場では、小林清親の複製画や出版年不明の木版画も流通しており、真作であるオリジナルプリントの希少価値を高めています。また、東京の風景や花鳥がモチーフの木版画が人気を集めており、真作であれば高値で取引されているようです。例えば、『日本橋夜』という1881年(明治14年)出版の表記のある木版画は、作品サイズが24cm×35.6cmで、100,500円で落札されました。また、真作保証のされている『猫と提灯』という木版画は、87,000円で落札されています。

7.小林 清親の作品の買取についてのまとめ

光のゆらぎと影の変化を、西洋絵画の技法をを取り入れ見事に表現した小林清親の作品は、江戸から明治という時代の変化に伴う感傷さえも感じさせ、現在も新たな感動を呼び起こしています。東京の風景や花鳥を題材にしたオリジナルプリントの作品は、高額での査定も期待できます。お手元に小林清親の作品がありましたら、ぜひ査定に出されることをおすすめします。

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