片多 徳郎(かただ とくろう)の絵画買取なら高額査定の可能性!SATEeee絵画買取へ
1.片多 徳郎の絵画作品を売りたいお客様へのご案内
片多徳郎はその暗く重い色彩と復古的な題材の選び方により、東洋的・日本的な油絵を確立した画家です。多くの油彩画を残しており、書画などの作品も多数残しています。帝展の審査委員などを務めたこともあり、日本の近代的な油彩画の第一人者として後の日本の洋画のあり方に大きな影響を与えた片多の作品群は、高値の査定が期待できます。
このページの目次
2.片多 徳郎という絵画作家について
片多徳郎の作風は3期にわかれており、第1期は『黄菊白菊』、『或る人の母』に見られるような印象派を思わせる明るい色彩の画風です。第2期からは日本の伝統的な色を使った作風へと変化します。そして第3期には暗く重厚、かつ密度が高く写実的な作風へと進化していきました。これは片多の作風として後の世に知られるイメージとして定着しています。片多はその生涯を通じて、約500点の作品を世に送り出しました。洋画だけにとどまらず、日本画、スケッチなどさまざまな作品を残しています。
3.片多 徳郎の絵画作家についての経歴など
1889年、片多徳郎は8人兄弟の5男として大分県に生まれました。東京美術学校(現東京芸術大学)在学中に文展に初入選したのを皮切りに、数多くの賞を受賞していきます。東京美術学校西洋画科に進学後は黒田清輝、岡田三郎助などのもとで学び、1909年の第3回文展に『夜の自画像』で初入選を果たしました。その後、1910年の第4回文展では『黄菊白菊』、1911年の第5回文展では『或る人の母』と次々に作品を出品し、話題を集めます。1919年には牧野虎雄らと新光洋画会を創立しています。帝展の審査委員を務めるなど活躍しますが、「破滅型の画家」としても知られていました。昭和初期からアルコール中毒で入退院を繰り返したすえに幻覚も見るようになり、1934年に44歳の若さで自死しています。
4.片多 徳郎の絵画代表作品とは
- 伎女舞踏図
- 花下竹人
- 霹靂
- 午休み(1926年)
- N(中出氏)の肖像(1934年)
5.片多 徳郎の絵画作品の買取査定ポイントを解説
やぶれた部分やしみ、汚れなどがないかが査定のポイントになりやすいです。絵画作品を現在所蔵されている場合は保存状態を確認し、大切に保管されることをおすすめします。本人のものと確認できる印があれば価値が高まることが期待できます。キャンバスの裏のサイン・共シールはもちろん、サインのあるタトウ箱や黄袋などと一緒に保管されている場合はさらに高い評価が望めます。
代表的な絵画作品の査定ポイントはこちら- きれいな状態で保存されているか
- 破れやしみ、汚れなどがないか
- サインや共シールの有無
- タトウ箱や黄袋とともに保存されているか
6.片多 徳郎の絵画作品の取引相場や参考価格
日本画の作風で描かれた画寸縦144cm、幅144cmの作品『晩帰』は古美術商サイトで216,000円で販売されています。また、ネットオークションでは縦38.5cm、幅47.5cmの油彩の風景画が、キャンバスの裏にサインのある状態で150,000円の取引が行われた実績もあります。550点もの作品を残した片多徳郎ですが、市場に出回っている作品は非常に少なく、真作を所有されている場合は高値での取引が期待できるでしょう。
7.片多 徳郎の絵画作品の買取についてのまとめ
片多徳郎はセザンヌなどの洋画の影響を受けながら、印象派の技法と日本の伝統的な色彩やテーマを混合させることで日本の油彩画の方向性を示した画家であり、その芸術的功績は高く評価されています。作品を所有されている方は、査定を検討してみてはいかがでしょうか。
その他の絵画について
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