狩野 探幽(かのう たんゆう)の絵画買取なら高額査定の可能性!SATEeee絵画買取へ

1.狩野 探幽の絵画作品を売りたいお客様へのご案内

狩野探幽は江戸時代初期の狩野派の絵師です。狩野孝信の子で、早熟の天才肌の絵師と評される人です。桃山絵画からの流れを脈々と引き継ぎながらも、宋元画や雪舟を深く研究して江戸時代の絵画の基調を作り出しました。墨の濃淡や、線の細さ太さを巧みに使い分けて、余白を生かした「瀟洒な画風」を得意としています。1662年には画家の最高位である法印に叙されるなど、江戸狩野派様式を創始した人です。

このページの目次

2.狩野 探幽という絵画作家について

幼少期から卓抜した才能を発揮した狩野探幽の画風は、若年期は豪壮でしたが、後年期は端麗で詩情豊かなものに変化しています。どちらの画風素晴らしいですが、特に後年作品の特徴である余白の見事な使い方は他の追随を許さず、見る者の想像力を掻き立てる構図をとっています。その余白の美は後の狩野派絵師たちに多大な影響を及ぼした狩野派の中でも特に傑出した絵師と言えます。

3.狩野 探幽の絵画作家についての経歴など

1602年に絵師である狩野孝信の長男として京都で生まれました。1612年10歳の時に徳川家康に謁見し、1617年わずか15歳で江戸幕府の御用絵師となります。1621年には江戸城鍛冶橋門外に屋敷を与えられ江戸に本拠を移しました。江戸城や二条城、名古屋城など公儀の絵画制作に携わる傍ら、大徳寺や妙心寺など有力寺院の障壁画も制作しています。狩野派の宗家を末弟である安信に継がせ、自身は鍛冶橋狩野家を興しました。しかし、有能な絵師を輩出することは叶わず1674年73歳の生涯を閉じました。

4.狩野 探幽の絵画代表作品とは

  • 渡唐天神図(1614年)
  • 二条城障壁画(1626年)
  • 八尾狐図(1637年)
  • 大徳寺本坊方丈障壁画(1641年)

5.狩野 探幽の絵画作品の買取査定ポイントを解説

とても古い時代の絵師ではありますが、大変著名であるため、作品や描かれた年代が資料として現存しているものもあります。そのため真作保証があり制作年がはっきりしている作品で、保存状態の良いものであれば破格の査定となることが期待できます。

代表的な絵画作品の査定ポイントはこちら
  • 制作年は明確か
  • 真作であるか
  • 表装の状態は良いか
  • 本紙の保存状態は良いか
  • 大きさはどれくらいか

6.狩野 探幽の絵画作品の取引相場や参考価格

過去に東京国立博物館に展示された経歴を持つ『羅漢図四幅対』が約138万円で落札された実績があります。この作品は表装も良く軸先は象牙で、軸寸200cm×69.5cm、画寸111cm×56.5cm、鑑定書と東京国立博物館発行の預かり証が添付されています。また、大徳寺大195世翠巌宗珉旧蔵品として出品された『瀟湘八景図』が60万円で落札されています。こちらは鑑定状、添状、旧蔵箱、鑑定箱、三重箱付きで、軸寸109cm×54.5cm、画寸25.5cm×38.5cmの作品です。どちらも経年感は否めないものの状態は良好で、本物保証の作品でした。

7.狩野 探幽の絵画作品の買取についてのまとめ

狩野探幽は、画面をはみ出ていく勢いを持つ祖父永徳の画風を引き継ぎつつも、画面枠を意識し余白の美を追求した探幽様式を確立しました。当時の権力者たちから重用され多くの歴史的作品を残している狩野探幽の日本画は、真作で保存状態が良いものであれば相当な高値の査定となる傾向にありますので、一度査定に出してみてはいかがでしょうか。

その他の絵画について