狩野 光信(かのう みつのぶ)の絵画買取なら高額査定の可能性!SATEeee絵画買取へ
1.狩野 光信の絵画作品を売りたいお客様へのご案内
狩野光信は桃山から江戸時代前期の絵師で、父は桃山美術を代表する天才絵師である狩野永徳です。光信は若いころから父とともに織田信長の安土城の障壁画制作などに従事していました。大和絵の伝統を取り入れた繊細優美な作品には、近年ますます評価が高まっています。
このページの目次
2.狩野 光信という絵画作家について
狩野光信は、はじめ父とともに織田信長に仕え、その後豊臣秀吉に仕えています。光信は父の豪壮な作風と異なり、理知的で穏やかな画風でした。中世の大和絵を取り入れて自然な奥行きのある構成や樹木・金雲などを描き、花鳥画を得意としています。父・永徳の跡を継いだ光信は、新たな画題である風俗画に取り組むことで、永徳様式からの自立と絵画領域の開拓を目指しました。
3.狩野 光信の絵画作家についての経歴など
1561年または1565年、狩野光信は京都で狩野永徳の長男として生まれました。1590年に永徳が亡くなったあと、狩野派の指導者となっています。1592年、肥前国名護屋城の本丸に襖絵を制作。以降も豊臣家の画用を務めました。1603年には京都の徳川秀忠邸(二条城)にて大内裏図の制作もしています。1606年に江戸幕府の命により江戸へ赴いて障壁画を描き、1608年の帰京の途中で亡くなりました。享年は44歳、または48歳頃であったとも言われています。
4.狩野 光信の絵画代表作品とは
- 園城寺勧学院客殿一之間(1600年)
- 高台寺霊屋障壁画(1605年)
- 相国寺法堂天井画(1605年)
5.狩野 光信の絵画作品の買取査定ポイントを解説
狩野光信の作品の多くは戦乱で失われています。また、若くして亡くなられていることや幕府関係の仕事が多かったことから現存する作品数が少なく、その多くは各地の美術館に収蔵されました。そういった理由から、狩野光信の真作というだけで高値での買取が予想されます。
代表的な絵画作品の査定ポイントはこちら- 真作が証明できるか
- 絵の劣化状況(剥落やヒビなど)
- 正式な鑑定書の有無
- 作品の保存状態の良しあし
6.狩野 光信の絵画作品の取引相場や参考価格
狩野光信の模写として出品された『梅に鷹の図』という作品は、45,500円で落札されました。作品は肉筆で傷みが多くあります。全体の大きさは、長さ170.7cm、横44.4cmです。狩野光信の作品は多くが戦乱で失われているため、市場に出回っている作品数は少ないとされています。そのため希少価値が高く、真作で状態が良好であれば高価買取が期待できるでしょう。
7.狩野 光信の絵画作品の買取についてのまとめ
父亡きあと、狩野一門の中心として幕府に仕えた狩野光信。近年になって光信の画風は永徳様式から、甥の探幽を中心とする江戸狩野様式への橋渡しをする役割を果たしたとして再評価されています。狩野光信をお持ちであるなら、専門家の査定でその価値を知ってみてはいかがでしょうか。
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