狩野 典信(かのう みちのぶ)の作品を高価買取!絵画作家の査定ポイントを徹底解説!

1.狩野 典信の作品を売りたいお客様へ

狩野典信は、江戸幕府の御用絵師の最高位である「奥絵師」を務めた狩野四家の一つである木挽町家狩野家の6代目の絵師です。日本絵画史上最大の専門画家集団である「狩野派」の刷新に取り組み、江戸中期から幕末までの狩野家隆盛の礎を築きました。典雅な趣を感じさせる花鳥画や人物画など作品の人気は高く、高額の取引となる可能性があります。

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2.狩野 典信についての解説

狩野典信は10代将軍徳川家治に類まれな才能を愛され、絵師として大きな成功を収めます。絵師に対する称号である法眼、法印に叙せられ、1790年の京都御所造営に当たっては、画家として最高の栄誉である賢聖障子絵の制作を一任されています。いっぽう、停滞していた狩野派の刷新に力を尽くし、中国絵画の手法に則った力強い描線を復活させ、新境地を開きました。

3.狩野 典信の歴史

狩野典信は、1730年に生まれました。幼名は庄三郎といい、栄川、栄川院、白玉斎と号しています。幼い頃から優れた才能を発揮し、1741年、12歳の時に、8代将軍徳川吉宗にお目見えし、その画才を称賛されています。10代将軍徳川家治の治世になると、多くの傑作を世に出し、時代を代表する画家として名を馳せました。1762年には法眼に叙せられ、その翌年には奥絵師を拝命し、いっそう制作に励みます。その後、1777年には、老中として多くの幕政改革を推進した田沼意次の木挽町の屋敷を拝領するという栄誉にあずかりました。このことで、木挽町狩野家と呼ばれるようになります。1790年、京都御所の賢聖障子絵の制作途中で逝去しました。享年61歳でした。

4.狩野 典信の代表作

  • 麒麟・鳳凰図
  • 鷹狩図
  • 山水図
  • 唐子遊図屏風
  • 墨松墨梅図

5.狩野 典信の作品の買取査定ポイント

狩野典信の作品では、花鳥や人物をモチーフとした作品の人気が高く、高値で取引される傾向にあるようです。また、木挽町狩野家の6代目として名声を博し、その画風の愛好家も多いことから、模写や真贋不明の作品も出回っています。このため、真作の希少価値が高まり、高値での買取のためには、真作であることが条件になります。鑑定書などが付いていれば、高額での取引となる可能性が高まるでしょう。また、一般的には、傷や折れ、シミなどが少なく保存状態が良好な作品は、査定額の上乗せが期待できます。

代表的な査定ポイント
  • 人気のある花鳥画や人物画か
  • 鑑定書の付属があるか
  • 作品の保存状態は良いか(古い時代の絵画となるため、経年による劣化があっても評価されることもあります)
  • 作品の大きさはどうか
  • 額や箱などの付属品は残っているか

6.狩野 典信の作品の取引相場価格

一般市場では、狩野典信の模写や真贋不明の作品が多く流通している現状があるため、真作の希少価値は高くなっています。また、花鳥画や人物画の人気が高く、真作であれば高額で取引されているようです。例えば、掛け軸として装丁された日本画『菊竹図』は、作品サイズが約27cm×約86.5cm、画面に焼けや細かい折れなどがある状態で、13,000円で落札されました。ちなみに、こちらは三幅の掛け軸として装丁された日本画になりますが、作品サイズがそれぞれ約55cm×約123cmの『梅鶴・松寿老人・竹鶴』は、経年による古さはありましたが、おおむね保存状態の良い3点連作の完品だったこともあり、182,000円で落札されています。このように、保存状態の良い真作の花鳥画や人物画であれば、高額での査定が期待できます。

7.狩野 典信の作品の買取についてのまとめ

狩野典信は、伝統の画派を継ぐという信念と優れた才能に基づく創意によって、江戸中期から幕末に、狩野派の系譜を見事に繋いだといえるでしょう。典信の果たした貢献が一助となり、狩野派は、江戸時代を通じて日本絵画史上最大の絵師集団として不動の地位を築くことになったのです。希少価値の高い真作の花鳥画や人物画であれば、多少の劣化や退色があっても思わぬ高値がつくこともあります。お手元に狩野典信作品がありましたら、一度査定に出されてみることをおすすめします。

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