鹿子木 孟郎(かのこぎ たけしろう)の絵画買取なら高額査定の可能性!SATEeee絵画買取へ

1.鹿子木 孟郎の絵画作品を売りたいお客様へのご案内

鹿子木孟郎は1874年に生まれた画家です。明治期より活躍し、日本洋画の発展に大きく貢献しました。特に関西の画壇にあっては指導的な立場にあたり、後進の育成にも励みました。フランス官学派のアカデミックな画風を受け継いだ作品を多く手がけ、堅実さや並外れた描写力が作品の魅力です。真作であれば高額査定の可能性が期待できます。

このページの目次

2.鹿子木 孟郎という絵画作家について

滞仏中、ジャン=ポール・ローランスに薫陶を受け写実的な技法や画面構成を習得しました。パリで学んだフランス官学派の描法を忠実に取り入れた鹿子木の表現は、日本における西洋のアカデミズムの受容を考える上で重要な作品と言えます。また帰国後には関西洋画壇において指導者として津田青楓、吉田初三郎、安井曾太郎、黒田重太郎など多くの画家たちを育成したことでも知られています。京都高等工芸学校講師、関西美術院院長など重要なポストを経験、また帝展審査員も務めました。没後50年経った1991年には、京都国立近代美術館をはじめとする全国の美術館で、大規模な回顧展も開催されました。

3.鹿子木 孟郎の絵画作家についての経歴など

鹿子木孟郎は1874年に岡山県岡山市で生まれました。郷里にて松原三五郎の天彩学舎で油絵を習うも1890年に上京、脚気のため帰郷し、岡山の中学予備校で図画教員として勤務していた時期もありました。その後再び上京し小山正太郎の不同舎で学びます。1900年に渡欧、アカデミー・ジュリアンでジャン=ポール・ローランスの教えを受けました。その後も2度、ヨーロッパでの修行を重ねました。1904年の帰国後は、太平洋美術会に出品。京都に移り、浅井忠らとともに関西美術院の創設に尽力しました。1905年には美術雑誌『平旦』を石井柏亭や小杉放庵らと創刊。文展や帝展の審査員も務め、とりわけ関西の洋画壇では重鎮的存在として活躍しました。1941年にこの世を去りました。

4.鹿子木 孟郎の絵画代表作品とは

  • 自画像(1894年)
  • 奈良の秋(1919年)
  • 大台ヶ原山中(1932年)
  • 南京入城(1940年)

5.鹿子木 孟郎の絵画作品の買取査定ポイントを解説

査定にあたっては、まず真作であることが最も大切なポイントです。そのため証明書や鑑定書がある場合は高額査定の可能性があります。来歴(誰から購入したかなど)がはっきりしているかも査定のポイントとなります。また作品の状態、本人のサインの有無も査定価格に影響します。

代表的な絵画作品の査定ポイントはこちら
  • 真作であること(鑑定書または証明書がある)
  • 作品にダメージなどがないか
  • 作品にサインがあるかどうか
  • 作品の大きさはどれくらいか

6.鹿子木 孟郎の絵画作品の取引相場や参考価格

鹿子木孟郎の作品は国内での取引のほか、海外のオークションにも出品されたことがあります。例えばクリスティーズに出品された際、1万8,750香港ドル(約26万円)の値で取引されました。こちらはサイズが30.9cm×46.3cmほどで紙に水彩で描かれた作品で、画面の左下に本人のサインがあるものでした。また、2001年には54cm×37cmの大きさの油彩が7,050米ドル(約78万円)で取引された例があります。本人の署名と制作年の表記が確認できるものでした。本人の作であれば数十万円で取引されていますが、状態が良いものやサイズの大きい作品、または代表作であればさらに高値がつく可能性があります。

7.鹿子木 孟郎の絵画作品の買取についてのまとめ

アカデミー・ジュリアンでジャン=ポール・ローランスに学び、卓越した描写力を身につけた鹿子木孟郎。肖像画や風景画を得意としましたが、確かな技術に裏打ちされた珠玉の作品をぜひ手に入れたいと思うコレクターも多く存在します。真作であることが前提ですが、ダメージの少ない状態の良い作品には思いがけない高値がつくこともあり得るでしょう。

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