甲斐庄 楠音(かいのしょう ただおと)の絵画買取なら高額査定の可能性!SATEeee絵画買取へ
1.甲斐庄 楠音の絵画作品を売りたいお客様へのご案内
甲斐庄楠音は、大正から昭和期にかけて活躍した日本画家であり風俗考証家です。彼の作品はたびたび『デロリ』という言葉で形容されます。それは、人間の内面を赤裸々に描いた楠音の独特な画風から派生した言葉で、当時の美術作品の中ではひときわ異才を放っていました。近年、大正時代の日本画が評価されており、楠音も再注目されています。人気のある画家のため、高値での取引が期待できます。
このページの目次
2.甲斐庄 楠音という絵画作家について
甲斐庄楠音は、大正期の退廃的で耽美な世界観を感じさせる独特の美人画は、当時の花鳥画や風月画など、簡潔で美しい作品のなかでは不可思議なものでした。その妖艶な画風で一躍人気を博し、大正期の京都画壇で活躍しますが、その後に画家としての活動から一時期遠ざかります。以後は映画界に活動の拠点を移し、名作映画の風俗や衣装考証を担当しました。その活動は当時、全盛期の映画界で高い評価を得ています。83歳で亡くなるまで、画を再び描きますが、画壇に戻り活動を再開することはありませんでした。
3.甲斐庄 楠音の絵画作家についての経歴など
甲斐庄楠音は、1894年に京都に生まれました。京都市立美術工芸学校図案科で竹内栖鳳らに学び、1912年京都市立絵画専門学校に進学、その間に出展した展覧会で村上華岳に見いだされます。1918年に、国画創作協会に『横櫛』を出品した際、岡本神草の『口紅』とともに入賞候補に挙げられますが、楠音を推薦した村上華岳と相手方の土田麦僊がお互いに譲らず、両者とも受賞とはなりませんでした。この出来事が楠音の名を世に広めるきっかけとなる一方、土田麦僊との確執を産む原因ともなりました。1922年に帝展に『青衣の女』が入選し、1924年には国画創作協会の会友となり活躍の場を広げますが、1926年に第5回国画創作協会に『女と風船』出品の際、土田麦僊に酷評され出品を拒絶されてしまいました。1928年に新樹社を結成するものの画壇から遠ざかり、映画界で衣装や風俗考証家として活躍しました。しかし絵画への情熱は冷めず、1956年以後は山賊会を通じて絵画を発表します。1963年、国画創作協会の回顧展で再び注目されましたが、晩年は寡作でした。1978年、83歳でその生涯を閉じます。
4.甲斐庄 楠音の絵画代表作品とは
- 横櫛(1918年)
- 青衣の女(1919年)
- 女と風船 蝶々(1926年)
- 裸婦(1926年)
5.甲斐庄 楠音の絵画作品の買取査定ポイントを解説
甲斐庄楠音の作品は、近年、日本だけではなく海外でも高く評価されています。特に舞妓などを描いた美人画は、日本らしさや簡潔な美しさだけではなく、楠音の代名詞である『デロリ』と形容された妖艶な画風で人気を得てきました。楠音の作品は、どの作品でも高値で取引がされています。鑑定書などが付属された真作であることを条件に、保存状態の良いものは高額な査定が期待できるでしょう。
代表的な絵画作品の査定ポイントはこちら- 保存状態が良い
- 作者の著名や落款印がある
- 女性がモチーフの美人画である
- 展示会で受賞した作品である
6.甲斐庄 楠音の絵画作品の取引相場や参考価格
甲斐庄楠音の掛け軸の形態の作品『婦人図』は、表装縦128㎝×横55.7㎝、絹本縦34㎝×41.7㎝の真作で、約65万円で取引されました。絹本右上と共箱には作者の署名と落款印があり、題名も記されています。軸先は漆塗りで、絹本著色です。表装と絹本は保存状態が良く、傷みがありません。このように真作で付属も揃い、さらに状態の良いものは値段が上がりやすい傾向にあります。
7.甲斐庄 楠音の絵画作品の買取についてのまとめ
甲斐庄楠音の作品は、『デロリ』と形容される退廃的で耽美な独特の画風によって、人々に強い印象を残してきました。近年になって国内外で人気が再沸したため、高額の取引が予想されます。作品をお持ちの方はぜひ、一度お問い合わせください。
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