John Frederick Lewis(ジョン・フレデリック・ルイス)の絵画買取なら高額査定の可能性!SATEeee絵画買取へ
1.John Frederick Lewisの絵画作品を売りたいお客様へのご案内
ジョン・フレデリック・ルイスは、19世紀中頃に活躍した画家で、東洋趣味を反映したエキゾチックな作品を数多く残しました。カイロに長く滞在し、中東の庶民の暮らしを克明に記録した風俗画や、エジプトの上流階級が営む優雅な生活などを描き、そのリアリスティックな描写がジャン=レオン・ジェロームなど著名な画家たちに影響を与えました。死後、長らく忘れられた存在でしたが、1970年代から再評価が盛んになり、現在では作品が高額で取引される人気の画家となっています。
このページの目次
2.John Frederick Lewisという絵画作家について
ジョン・フレデリック・ルイスは、トマス・ローレンスの下で絵画を学び、当初は動物画家として出発しました。1827年頃から水彩画を始め、スペインやモロッコを旅した後にリトグラフ集を出版します。カイロで制作したドローイングを基に描かれた水彩画は、1851年の帰国後に発表されると、ジョン・ラスキンら批評家たちから高く評価されました。それらは、長く滞在したがゆえの現地の人々や風俗への理解が感じられるもので、細部は入念に再現され、光と陰影の複雑な効果が繊細な筆致で描き出されています。1858年以後主に制作され、ロイヤル・アカデミーにて発表されたルイスの油彩画は、水彩画同様に好評を得ました。
3.John Frederick Lewisの絵画作家についての経歴など
ジョン・フレデリック・ルイスは、1804年に画家のフレデリック・クリスチャン・ルイスの息子としてロンドンに生まれ、トマス・ローレンスの工房で修行をしました。1832年~1834年にスペイン、1841年~1850年にはエジプトのカイロに滞在し、数々のスケッチを描き、1851年のイングランド帰国後にそれらを基にした水彩画を描きました。1855年頃より油絵を制作の中心に切り替え、1859年にロイヤル・アカデミーの準会員、1865年に正会員となります。1873年に体調が悪化し、1876年にその生涯を閉じました。
4.John Frederick Lewisの絵画代表作品とは
- ハイランド地方のもてなし(1832年)
- ローマの巡礼者(1854年)
- 信仰による祈りが病む人を癒す(1876年)
- ナイル川の岸辺で(1876年)
5.John Frederick Lewisの絵画作品の買取査定ポイントを解説
ジョン・フレデリック・ルイスの価格査定では、まず画家の本物の作品であるかどうかが重要です。また、素描よりも油彩画に、小さいものよりも大きいサイズの作品に高額の評価がつけられる傾向にあります。油彩画では剥落やヒビ、素描では、シミや破れなどがないかも査定額に反映されます。
代表的な絵画作品の査定ポイントはこちら- ジョン・フレデリック・ルイスの本物の作品であるかどうか
- 展覧会の出品歴や雑誌などの掲載歴があるかどうか
- 作品に欠け、シミ、日焼け、カビなどがないかどうか
- 出来栄えが良いかどうか
- サイズは大きめかどうか
6.John Frederick Lewisの絵画作品の取引相場や参考価格
ジョン・フレデリック・ルイスの作品の買取価格が、国内の画廊やオークションサイトで公開されることはほとんどありませんが、海外のオークションにはしばしば出品されています。2008年頃のクリスティーズのオークションでは、アラブ人男性の胸像を描いた油彩画(43.5cm×30.5cm)が、約1億4000万円で、アラブ人男性の全身坐像と室内の風景を描いた油彩(31.2cm×20.2cm)が約7800万円で落札されています(いずれも日本円換算)。入念に仕上げられた画家の自画像と推定される水彩画は22.6cm×16.5cmと小さいながら、日本円にして約6,600万円、習作とみなされる素描でも約600万円前後と高額の落札になっています。
7.John Frederick Lewisの絵画作品の買取についてのまとめ
ジョン・フレデリック・ルイスは、画家としては非常に早くから中東を訪れ、その暮らしや伝統を描くことで、19世紀中頃に隆盛するオリエンタリズムの先駆的な存在となりました。一方で、現地の風俗や人々への深い理解、理想化しすぎない描写から、のちのオリエンタリズムの画家たちとも一線を画し、海外オークションでも高い人気を獲得しています。
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