伊藤 継郎(いとう つぐろう)の絵画買取なら高額査定の可能性!SATEeee絵画買取へ

1.伊藤 継郎の絵画作品を売りたいお客様へのご案内

伊藤継郎は主に仁科会で活躍した日本の洋画家です。松原三五郎が主宰する天彩画塾で絵を学び、後に赤松洋画塾に入塾し研鑽を積みました。24歳の頃、赤松洋画研究所展覧会で丹平賞を受賞し、第5回全関西洋画展覧会では朝日奨励賞を受賞しています。二科会会友を経て、小磯良平や猪熊弦一郎らの誘いにより新制作派協会展の会員にもなりました。後年は数々の教育現場で教鞭を取り美術教育に注力し、64歳で国から紺綬褒章を授与されています。

このページの目次

2.伊藤 継郎という絵画作家について

伊藤継郎は画家として松原三五郎、赤松麟作らに絵を学び、多くの名作を生み出しただけでなく、芸術大学や美術大学で教鞭を取り関西の美術教育に大きく貢献しました。満州出征とシベリア復員を経て芦屋市美術協会の創立に参加、自宅で研究会やデッサン会を多く開催しました。その後は大学で美術教育にあたるようになり、京都市立美術大学(現在の京都市立芸術大学)の西洋画科教授にも就任します。芦屋市美術協会代表も務め、兵庫県文化賞を受賞した人物です。

3.伊藤 継郎の絵画作家についての経歴など

伊藤継郎は1907年、大阪で生まれました。16歳のときに天彩画塾に入塾し、山本直治や西村鳳山ら塾生と共に画技を学びます。1924年、天彩画塾の閉鎖に伴い赤松洋画塾に入塾し、巨匠の赤松麟作に師事しました。1930年には二科展で入選、翌年には赤松洋画研究所展覧会にて丹平賞、全関西洋画展覧会にて朝日奨励賞を受賞し、画家として頭角を現します。戦後は芦屋市美術協会創立に参加する一方で、鍋井克之の誘いにより浪速短期大学、大阪芸術大学の教授に就任しました。偉大な功績により、多数の栄誉ある賞を受賞した人物です。

4.伊藤 継郎の絵画代表作品とは

  • 裸婦(1950年)
  • 南海電鉄難波駅壁画『沿線まつりシリーズ』(1980年)

5.伊藤 継郎の絵画作品の買取査定ポイントを解説

伊藤継郎の絵画作品は市場での取引数が多くないため、希少価値があります。関西では特に知名度が高く、作品評価は関東より高めのようです。署名やサインがある、作品状態が良いといった条件のほか、地域貢献した作品であるとより高額での取引が期待できます。

代表的な絵画作品の査定ポイントはこちら
  • 知名度の高い作品かどうか
  • 作品状態は良いかどうか
  • サインや署名が入っているか
  • 大きな汚損、欠損の有無
  • 付属品が揃っているか

6.伊藤 継郎の絵画作品の取引相場や参考価格

ネットオークションでは、富士山を描いた風景画が3万円で落札されました。6号の油彩作品で作品寸は31.8cm×41cm、額寸は50.5cm×59.5cmで、少々の割れ、傷みがある部分が見受けられ、作品状態としてはやや良好とされていました。しかし、画面下部にサインがあり、真作の可能性が高いことから作品状態に比べて高額での取引が実現したと思われます。

7.伊藤 継郎の絵画作品の買取についてのまとめ

伊藤継郎は名実共に一流の洋画家であり、日本時美術界における傑出した人物の一人です。優れた画技とダイナミックな表現力で見る者を魅了し続けています。多数の受賞歴を誇り、作品には大変価値があります。伊藤継郎が描いたと思われる絵画をお持ちでしたら、ぜひ査定を検討していただければと思います。

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