板谷 広当(いたや ひろまさ)の絵画買取なら高額査定の可能性!SATEeee絵画買取へ

1.板谷 広当の絵画作品を売りたいお客様へのご案内

板谷広当は、江戸時代中期に活躍した幕府の御用絵師です。大和絵を得意とし、立体感を表現する線や描写の技術に長けていました。板谷家の作品は歴史的にも価値があるため、発見されれば高額の査定がつくことが予想されます。

このページの目次

2.板谷 広当という絵画作家について

板谷広当は、御用達絵師の住吉広守に師事し、住吉家の後継ぎとなりました。その後、住吉家の家督を長男の廣行に譲りますが、広当の仕事ぶりを評価していた幕府に再び召し出されました。大和絵の一派である住吉派から別れた板谷派が生まれるきっかけとなった人物です。後年御用絵師の地位を退くと、号を板谷桂舟と名乗りました。

3.板谷 広当の絵画作家についての経歴など

板谷広当は、1729年に尼崎藩青山大膳亮の家臣である、板谷次郎兵衛の子として江戸に生まれました。1741年、幕府御用絵師の家系であった住吉家4代目の住吉広守に入門し、大和絵の代表的な画派、土佐派の画を学びました。1773年に、広守が広当を推挙を受けて幕府御用絵師となり、剃髪をして慶舟と名乗ります。1777年に広当が病に伏せると、広当は住吉家の後継ぎとなり地位を継承しました。1781年には長男、廣行に住吉家の地位を譲って自らは板谷姓に戻りますが、1783年には幕府からあらためて召し出され、御用絵師に復帰します。広守の技術は線も確かで描写に優れていたため、幕府は彼の技術を高く評価していたことをうかがい知ることができます。このことから板野家は住吉家と共に御用絵師の家系となり、後に引き継がれました。1795年より号を板谷桂舟としました。その後は、板谷慶舟広当、板谷桂舟広当とも呼ばれます。1797年にこその生涯を閉じました。

4.板谷 広当の絵画代表作品とは

  • 毘沙門天像(1782)
  • 勿来関図(1794)

5.板谷 広当の絵画作品の買取査定ポイントを解説

2009年、東京国立博物館に板谷家の御子孫より『板谷家伝来資料』として、大切に継承されてきた絵画制作のための手本や模写などの粉本、下絵などが約1万点におよび寄贈されました。そのため、板谷派という存在がより明確になりつつあります。真作であり保存状態が良ければ、高額の取引が期待できるでしょう。

代表的な絵画作品の査定ポイントはこちら
  • 保存状態が良い
  • 作者の署名や落款印がある
  • 正式な鑑定書が付いている
  • 共箱などの付属がある

6.板谷 広当の絵画作品の取引相場や参考価格

板谷廣隆の作品は、日本の買取市場には現在あまり出回っていないために希少価値が高いです。東京国立博物館に作品が寄贈されるような作家である点や、息子である板谷廣長の真作『新田義貞徒渉伝説図』が高額で取引された事例があることからも、廣隆の真作が高値で取引されることは大いに期待ができます。もし作品をお持ちでしたら是非一度お問い合わせください。

7.板谷 広当の絵画作品の買取についてのまとめ

板谷広当の作品は勿論のこと、板谷派の作品は美術的価値だけではなく、日本の歴史を知る上でも価値のあるものです。作者の署名などがある真作であることを条件に、新たに見つかれば高値が付くことが予想されますので、作品をお持ちの方はぜひ、一度お問い合わせください。

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