平賀 亀祐(ひらが かめすけ)の絵画買取なら高額査定の可能性!SATEeee絵画買取へ

1.平賀 亀祐の絵画作品を売りたいお客様へのご案内

平賀亀祐は学び、アメリカやパリで活躍した三重県出身出身の画家です。日本で生まれ育ちましたが、海外で人生の多くを過ごしました。そのため日本での知名度はあまり高くないものの、今後改めて評価されることが期待できる実力派の画家です。作品は国内外のマーケットで売買が行われており、数十万円の値で取引されることも珍しくありません。作品の号数やコンディション次第ではさらなる高値がつくことが期待できます。

このページの目次

2.平賀 亀祐という絵画作家について

平賀亀祐の残した作品には風景画が多く、パリやブルターニュ地方の街並みも好んで描きました。パリのアカデミージュリアンでは、リュシアン・シモンやジャン=ポール・ローランスに学び、伝統的な技法を習得し自身の作品にも生かしました。重厚感のあるマチエールと落ち着いた色合いが作品の特徴で、見る人を穏やかな気持ちで包み込むような作品は安定した人気を誇っています。平賀の故郷、三重県志摩市大王町には平賀亀祐記念館が建てられています。

3.平賀 亀祐の絵画作家についての経歴など

平賀亀祐は1889年三重県志摩郡片田村(現在の志摩市志摩町片田)に漁師の息子として生まれました。若い頃より絵画への関心を持ち、16歳で神戸港からサンフランシスコに渡りました。移民として働き、1909年には現地の美術学校に進学、ページズに学びました。校内でも良い成績を収め学費の免除が受けられるほとでした。1925年には渡仏、パリのアカデミー・ジュリアンで学びました。1926年以降、展覧会を多数開催し、1930年にはニューヨークやパリのギャラリーで開かれた個展では大成功を収めます。パリのル・サロンでは銅賞、銀賞を受賞し、さらに1954年にはコロー賞と日本人初の金賞を受賞し、レジオンドヌール勲章を受勲。また1961年には日本政府から勲三等瑞宝章、紺綬褒章受勲。1971年にこの世を去りました。没後に勲三等旭日中綬章を追贈されました。

4.平賀 亀祐の絵画代表作品とは

  • 扇を持てる婦人(1926年)
  • 古い巴里の街角(1954年)

5.平賀 亀祐の絵画作品の買取査定ポイントを解説

まずは本人による作であることが最も重要視されます。証明書や鑑定書があるか、来歴がはっきりしていることも査定のポイントとなります。画面に汚れやシミがなく退色が少ないなど、作品の状態が良好な場合や付属の箱がある場合には、さらに査定額が高まる可能性があるでしょう。

代表的な絵画作品の査定ポイントはこちら
  • 本人の作品か(鑑定書や証明書はあるか)
  • 保存状態は良好か(作品にダメージがないか)
  • サインがあるか
  • 作品の号数

6.平賀 亀祐の絵画作品の取引相場や参考価格

平賀亀祐の作品は国内のみならず海外のオークションにも出品されています。過去にはクリスティーズのオークションで1930年に制作された作品が4,700米ドル(約51万円)で取引されました。こちらは板に油彩で描かれており、『Vielles maisons sur le quai』という題がつけられています。作品の大きさは57.7cm×68.5cmで、署名も入っているものでした。ヤフーオークションでも度々10万円を超える価格で取引が行われています。例えば、フランスのブルターニュ地方の風景を描いた作品は過去に13万1,005円で落札されました。画面サイズは32cm×41cm、額のサイズは52cm×59cm、画面の右下にサインが入っており、作品のコンディションは経年劣化により薄いヒビが入っている程度のものでした。真作で状態の良い代表作となれば数十万円の高値がつくことも予想されます。

7.平賀 亀祐の絵画作品の買取についてのまとめ

平賀亀祐は日本に生まれながらも海外で画家としてのキャリアを積み、異色の画家人生を歩んだ人物といえます。日本ではあまり知られていませんが、パリ画壇では優れた功績を残し、フランスの最高勲章であるレジオンドヌール勲章を受勲したほどの人物です。日本のみならず海外のオークションでも作品が出品されています。堅実な作風は多くの人に受け入れられ、マーケットでの人気も安定しています。状態の良い真作であれば高値がつくことも考えられるでしょう。作品をお持ちの場合は是非お気軽にお問い合わせください。

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