Gustav Klimt(グスタフ・クリムト)の絵画買取なら高額査定の可能性!SATEeee絵画買取へ

1.Gustav Klimtの絵画作品を売りたいお客様へのご案内

グスタフ・クリムトは、19世紀末から20世紀初頭に活躍したオーストリアの画家です。官能的に描かれた女性像と、抽象的で平面的に描かれた装飾パターンとを並置する独自のスタイルを確立し、世紀末ウィーンを代表する芸術家となりました。その芸術は、エゴン・シーレやオスカー・ココシュカといった若い芸術家に大きな影響を与え、日本国内でも展覧会には多くの来場者を集める大変人気の高い画家です。

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2.Gustav Klimtという絵画作家について

グスタフ・クリムトは、1880年代には、弟たちと設立した芸術家商会を介して装飾美術を手がけ評価を高めました。その後、エロスのただよう妖艶な女性像や、死を感じさせる老婆の姿、裸で抱き合う男女などセンセーショナルな画題を取り上げ、そこに、自らコレクションしていた日本の工芸作品やビザンチンのモザイク画から着想を得た装飾的パターンを描きこんだ独自の様式を確立しました。上流階級の女性たちをモデルにした肖像画や、正方形の画面を活かした装飾性が特徴の風景画などにも優れた作品を残しています。

3.Gustav Klimtの絵画作家についての経歴など

グスタフ・クリムトは1862年にウィーン郊外のバウムガルテンに生まれ、1876年~1883年にウィーンの工芸美術学校で学びました。1894年にはウィーン大学大講堂の天井画をめぐる大論争に巻き込まれます。1897年、ウィーン分離派の創立に加わり、初代会長を務めました。1902年に大作『ベートーヴェン・フリーズ』を制作し、1903年には第18回分離派展で回顧展示が開催されますが、1905年には分離派を脱退し、オーストリア芸術家連盟を新たに設立しました。1910年代に入り徐々に制作数が減り、1918年に脳梗塞と肺炎で亡くなりました。

4.Gustav Klimtの絵画代表作品とは

  • 音楽(1895年)
  • パラス・アテナ(1898年)
  • ユディトI(1901年)
  • ベートーヴェン・フリーズ(1901年~1902年)
  • 接吻(1907年~1908年)

5.Gustav Klimtの絵画作品の買取査定ポイントを解説

グスタフ・クリムトの買取査定にあたっては、画家の本物の作品であるかどうかがまず重要となります。来歴が判明していたり、証明書が付帯されていれば査定での高評価が期待できます。一般的には、素描よりも油彩画が、また、サイズが大きいものほど査定額は高くなるでしょう。剥落やカビがないかなどの状態の良し悪しや出来栄えも査定額を左右するポイントです。

代表的な絵画作品の査定ポイントはこちら
  • グスタフ・クリムトの真作であること
  • 来歴、出品歴、掲載歴が分かるかどうか
  • 出来栄えが良いか
  • サイズが大きいものかどうか
  • 状態は良いか

6.Gustav Klimtの絵画作品の取引相場や参考価格

グスタフ・クリムトの作品は世界中で極めて人気が高く、2017年のサザビーズ・ロンドンでは、1907年作の110cm×110cmの油彩画『花園』が約4,800万ポンド、日本円にして約60億円で落札され、当時までにヨーロッパで行われたオークションの歴代3位の落札額を記録しました。サザビーズに近年出品された作品では、鉛筆デッサンでさえも35万ポンド以上、約4,300万円以上で概ね落札されています。日本国内での真作の取引は稀ですが、大変人気の画家ですので、複製画であっても買取の対象となる可能性があります。

7.Gustav Klimtの絵画作品の買取についてのまとめ

グスタフ・クリムトは、官能性豊かで華やかな女性像や装飾的で清明な風景画によって近代ウィーンの芸術運動を代表する画家であり、現代でも多くのファンを集めています。油彩画はもちろん素描であっても、真作は大変高額で取引されています。複製画でも、出来栄えや複製の方法などに応じて意外な高額査定の可能性がありますので、関連の作品をお持ちでしたら是非一度ご相談をお寄せください。

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