五姓田芳柳(ごせだ ほうりゅう)の絵画買取なら高額査定の可能性!SATEeee絵画買取へ
1.五姓田芳柳の絵画作品を売りたいお客様へのご案内
五姓田芳柳は暈影法という技法を用いて日本の顔料で洋画を描いた画家です。明治天皇の御影や昭憲皇太后の肖像画を手掛けています。1877年に大阪臨時陸軍病院に出張を命じられた際に数多くの負傷者を写生したことで完成した「西南役大阪臨時病院負傷兵施術光景」で知られている画家でもあります。
このページの目次
2.五姓田芳柳という絵画作家について
五姓田芳柳は天才洋画家と呼ばれた五姓田義松の父であり、日本の洋画家です。独特の技法である暈影法により外国人の肖像画を描いていたことで知られていますが、そのほかにも掛け軸や屏風、風俗画も描いています。明治天皇の御影を注文され描いたり、昭憲皇太后の肖像画も描いています。また、陸軍病馬院では解剖額御用掛を務めており、馬の解剖学を手掛けているなど、幅広い制作活動をおこなっていた人物です。日本画の顔料にて洋画を描く独特のタッチが今でも人気のある画家です。
3.五姓田芳柳の絵画作家についての経歴など
五姓田芳柳は1827年に江戸にて誕生します。本名は浅田岩吉と言いましたが養子縁組を繰り返し名前が5回変わったことにちなみ、五姓田と名乗っています。両親を早くに亡くし本多庄兵衛の養子となります。15歳の時には本多庄兵衛も亡くなり、養父である庄兵衛がその跡を継ぎます。この頃から歌川国芳に入門し浮世絵を学びます。1843年17歳で画家を決意し20歳前後に5年間遊学します。1849年に樋口探月に入門し狩野派の画法を学び、1852年には洋画を模した独特の技法である暈影法にて新派を開きます。五姓田芳柳の次男である五姓田義松とともに外国人の肖像画を描いていたことで知られていますが、そのほかにも風俗画などを手掛けています。1890年にはアメリカに渡りますが、帰国後に病に侵されほぼ失明状態に陥り、そのまま1892年に亡くなります。
4.五姓田芳柳の絵画代表作品とは
- 子守図
- 西洋老婦人像
- 羅漢撫竜図
- 六美人図
5.五姓田芳柳の絵画作品の買取査定ポイントを解説
日本画の顔料によって洋画に近づけようと暈影法を産み出した五姓田芳柳。その作品は迫真的写実であり、和洋折衷の独特なタッチが特徴的です。市場に出回る作品数が少ないため、真作であることが重要な査定ポイントとなります。保証書や鑑定書があると査定額が高くなると考えられます。
代表的な絵画作品の査定ポイントはこちら- 真作であること(保証書や鑑定書があると良い)
- 保存状態が良好であること
- 落款の有無(アルファベット落款は貴重)
- 作品の大きさなど
- 作品の種類(どんな技法が使用されているか、人気のある作品かどうか)
6.五姓田芳柳の絵画作品の取引相場や参考価格
五姓田芳柳の作品はオークションサイトで見かける機会が少ないです。2016年にはインターネットオークションサイトにて、真贋不明の作品を140,000円で落札されている実績がありますが、それ以降ではオークションにて取引されていません。希少価値がある作品となりますので、作品のコンディションによってはより高い金額で売却することが出来る可能性もあります。
7.五姓田芳柳の絵画作品の買取についてのまとめ
五姓田芳柳は天才と称される五姓田義松の父として認知されていますが、五姓田芳柳自身も暈影法を産み出し日本画を洋画へ近づけた画家として人気があります。市場に出回りにくく希少価値も高いので五姓田芳柳の作品をお持ちの場合、査定を検討されてはいかがでしょうか。
その他の絵画について
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