George Chinnery(ジョージ・チネリー)の絵画買取なら高額査定の可能性!SATEeee絵画買取へ

1.George Chinneryの絵画作品を売りたいお客様へのご案内

ジョージ・チネリーは、19世紀前半のインドならびに中国南部で活躍したイギリス人画家です。大英帝国の植民地であったインド、次いでマカオや香港にて、イギリス人や現地の商人、船舶の乗組員らの肖像画を数多く描きました。独自の速記法によるメモを添え、土地の風俗や人々の姿を描いたスケッチを含む数々の作品は、200年前の植民地の様子を伝える貴重な歴史的資料として高く評価されています。

このページの目次

2.George Chinneryという絵画作家について

ジョージ・チネリーによってインド滞在時に描かれた、カークパトリック大佐とその家族の肖像には、当時としてはめずらしい現地の人々への共感が見て取れます。19世紀前半に中国南部に暮らした唯一の西洋人画家として、チネリーの作品は、美的価値だけでなく歴史的な価値が認められます。それらの作品には、同地の人々の生活が生き生きと描き出されるとともに、阿片で財を成した英国商人らの肖像を今に伝えています。優れた肖像画家として名を残した關喬昌はチネリーの画風を真似て人気を得ました。

3.George Chinneryの絵画作家についての経歴など

ジョージ・チネリーは、1774年にロンドンに生まれ同地のロイヤル・アカデミーにて絵画を学びます。1796年にアイルランドへ移住し画家として成功、結婚もしますが、1801年には妻子を残してロンドンへ戻ります。1802年にはマドラス、次いでカルカッタに滞在し、インドにおけるイギリス人社会で指導的な芸術家となりました。1825年には中国南部へと移住、終のすみかとなったマカオやたびたび訪れた広州で、人物や風景を描きました。1846年には半年間香港に滞在し、新興の植民地の姿を活写しています。1852年に亡くなり、マカオのプロテスタント用墓地に埋葬されました。

4.George Chinneryの絵画代表作品とは

  • トマス・ビールの肖像(1802年~1803年)
  • ジェームズ・アーチル・カークパトリックの肖像(1805年頃)
  • ホンの商人伍秉鑑(1830年)
  • トマス・リチャードソン・カレッジとその患者たち(1833年~1835年)

5.George Chinneryの絵画作品の買取査定ポイントを解説

ジョージ・チネリーの価格査定では、まず画家の本物の作品であるかどうかが重要です。また、素描よりも油彩画に、小さいものよりも大きいものに高額の評価がつけられる傾向にあります。オークションなどでは、西洋の画題よりも植民地当時の様子が伝わるエキゾチックな画題を描いたものに人気が集まるようです。油彩画では剥落やヒビ、素描では、シミや破れなどがないかも査定額に反映されます。小さな素描でも、歴史的価値がありますので、意外な高額査定が期待できるでしょう。

代表的な絵画作品の査定ポイントはこちら
  • ジョージ・チネリーの本物の作品であるかどうか
  • 展覧会の出品歴や雑誌などの掲載歴があるかどうか
  • 作品に欠け、シミ、日焼け、カビなどがないかどうか
  • 出来栄えが良いかどうか
  • サイズは大きめかどうか

6.George Chinneryの絵画作品の取引相場や参考価格

ジョージ・チネリーの作品が国内の画廊やオークションで取り扱われることはほとんどありませんが、海外のオークションやギャラリーではしばしば取引がなされています。近年のクリスティーズのオークションで最も高額の落札となったのは、中国女性のエキゾチックな肖像画(45.4cm×38.7cm)の約800万円(以下、全て日本円換算)でした。一方、やや小ぶりの西洋人女性を描いた肖像画(39.8cm×32.7cm)では、約250万円の落札額でした。水彩画であっても丁寧に仕上げられた中国風景(31.3cm×21.5cm)は約140万円で落札されています。

7.George Chinneryの絵画作品の買取についてのまとめ

ジョージ・チネリーは、開拓したての植民地におもむき、西洋油彩画を現地に伝えただけでなく、その土地の風景や習俗、人々を、共感を込めて描き残した点で、歴史的に大変重要な画家と言えます。その作品からは、インドや中国のエキゾチックな魅力に向けられた画家の眼差しが伝わり、いつまでも見飽きることがありません。画題や仕上がりによっては思わぬ高額査定も期待できますので、ジョージ・チネリーの作品をお持ちの方は、ぜひ一度お問合せください。

その他の絵画について