藤島 武二(ふじしま たけじ)の絵画買取なら高額査定の可能性!SATEeee絵画買取へ
1.藤島 武二の絵画作品を売りたいお客様へのご案内
藤島武二は、明治の末から昭和の前半にかけて活躍した洋画家で、日本の洋画壇の最重要人物の1人です。東京美術大学の教授となり、半世紀にわたって後進の指導にあたりながらも、日本画・洋画の両方の要素を取り入れた独自の作品を作り続けました。ロマン主義的な作品から、東洋的な情緒ある人物画、さらに晩年は日本的な風景画に取り組むなど、何度か作風を変えていったことでも知られています。常に挑戦的であり続けた作品は今なお新鮮で、いずれも高値で取引されています。
このページの目次
2.藤島 武二という絵画作家について
藤島武二は師匠が多いことで知られています。日本画を学んだあと、洋画に転進して、少なくとも3人に師事しています。ヨーロッパに留学した際にも、幾人かの薫陶を受けました。そのため、作風を何度か変化させています。特に留学後は、日本画を取り入れた洋画といわれる、東洋的人物画という独自のジャンルを築き、『蝶』や『黒扇』といった名作を次々と生み出します。晩年は1928年の昭和天皇の即位を祝う油彩画の制作を依頼されたことを契機に、テーマを「旭日」に定め、壮大な連作『旭日照六合』を完成させるなど、どの時代にも優れた作品があるのが藤島武二の凄みです。
3.藤島 武二の絵画作家についての経歴など
1867年に鹿児島で生まれた藤島武二は、まず川端玉章に日本画を学びます。1890年には洋画に転進して、曽山幸彦や松岡寿、山本芳翠らに師事しました。明治美術会で認められ、1896年には黒田清輝の推薦で、東京美術学校の助教授となりました。1905年に文部省の要請でヨーロッパへ留学。1910年に帰国して教授に就任しました。そして、発表した滞欧作が日本画壇に大きな衝撃を与えます。1896年には黒田清輝が主宰する白馬会に参加。文展、帝展の審査員、帝国美術院会員などを歴任して、画壇の重鎮として活躍し続けます。1937年には第1回文化勲章を受章。1943年に脳溢血のため75歳で永眠しました。
4.藤島 武二の絵画代表作品とは
- 池畔納涼(1897年)
- 天平の面影(1902年)
- 蝶(1904年)
- 黒扇(1908年~1909年)
- 旭日照六合(1937年)
5.藤島 武二の絵画作品の買取査定ポイントを解説
藤島武二の作品では、晩年に描かれた風景画が人気であるため、作品のモチーフも重要な査定ポイントとなります。贋作も出回っており、真作であることを証明できる鑑定書があればさらなる高額が見込めるでしょう。
代表的な絵画作品の査定ポイントはこちら- 真作であること
- 作品の状態
- サインがあるかどうか
- サイズの大小
6.藤島 武二の絵画作品の取引相場や参考価格
オークションでは、色鉛筆かクレヨンで描かれた作品が270,000円で落札されています。サイズは縦39.5cm、幅32cmです。画廊の証明シールがあり、絵の中に印章もありました。また、初期の頃の作品と思われる裸婦の色鉛筆画が、155,000円で落札されています。サイズは縦24cm、幅19cmです。こちらも画廊のシールと鑑定書がついていました。
7.藤島 武二の絵画作品の買取についてのまとめ
藤島武二は、遺言で残っていた作品を処分するように言い残しています。実際に70点ほどが焼却されたといわれています。そのため真作であればかなり貴重で、鉛筆画でも10万円以上となっています。本格的な油絵になると、1桁も2桁も金額が変わってくる可能性は十分にあります。状態や鑑定書があるかどうかなどで、査定価格が大きく変わってきますので、藤島武二の作品をお持ちの方は一度お問い合わせください。
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