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1.フリードリヒ・フォン・アマーリングの作品を売りたいお客様へ
フリードリヒ・フォン・アマーリングは19世紀のオーストリアの代表的な肖像画家です。ハプスブルク家のフランツ2世を描くなど宮廷画家として活躍したことでも大変有名で、作品は写実的で繊細かつ、気品があるのが特徴です。代表作の1つである『3つの最も嬉しいもの』はウィーンミュージアムに展示されています。
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2.フリードリヒ・フォン・アマーリングについての解説
フリードリヒ・フォン・アマーリングはウィーンの金・銀細工師の家に生まれ、10代の学生時代から画家として大成した後もヨーロッパを中心とした多くの国を訪れ、様々な種類の絵画を習得しました。その学びの姿勢が音楽家リストをはじめとする多くの文化人に称賛され、ウィーンで最も尊敬される画家になりました。フェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラーと並んでオーストリアの代表的な肖像画家として評価されています。
3.フリードリヒ・フォン・アマーリングの歴史
フリードリヒ・フォン・アマーリングは1803年4月14日にオーストリアのウィーンに生まれました。1815年から1824年までウィーン美術アカデミーで絵画を学び、初期にはクリーバーから版画を、フーベルト・マウラーから歴史画を教わっています。1824年にプラハに移ってからは、プラハ美術アカデミーに通い、翌1827年から1年間はロンドンにて暮らし、ここで肖像画家であるトーマス・ローレンスに影響を受けたとされています。1828年にウィーンに戻り、貴族の肖像画を描くようになりました。翌年、ウィーン美術アカデミーが授与する賞である「Reichel-Preis」を受賞。宮廷画家になった後もエジプトやオランダなどさまざまな場所へ旅行し、その度に絵画を学び続けました。1878年に爵位を与えられ、1887年1月14日に死亡しました。
4.フリードリヒ・フォン・アマーリングの代表作
- フランツ2世(1832年)
- 失われた夢(1835年)
- 2歳の時の王女Marie Franziska(1836年)
- 3つの最も嬉しいもの(1838年)
5.フリードリヒ・フォン・アマーリングの作品の買取査定ポイント
フリードリヒ・フォン・アマーリングの作品は透き通るような肌や瞳の質感、柔らかい光の表現が最大の魅力です。保存状態によっては色あせてしまい、透明感や光の繊細さが失われてしまうこともあります。日焼けをしていないか、絵の具がひび割れていないか、欠けていないかなどが買取査定ポイントです。また誰の肖像画であるかも査定の重要なポイントです。
代表的な査定ポイント- サインや鑑定書といった本物のフリードリヒ・フォン・アマーリングの作品である証拠
- 日焼けやひび割れなどの有無
- 誰の肖像であるか
- 過去に美術館に展示された経歴の有無
6.フリードリヒ・フォン・アマーリングの作品の取引相場価格
フリードリヒ・フォン・アマーリングの『Girl with straw hat(麦わら帽子の少女)』という58cm×46cmサイズの額付き油彩作品が、海外のオークションサイトで約158万ユーロ(1億9,000万円)で落札されました。また『Sleeping Fishwife(眠っている魚売りの女性)』というサインと1834年の記載がある97cm×147cmの油彩画は、約14万ユーロ(1,770万円)で落札されています。『Joseph Amerling as a Boy(少年時代のジョセフ・アマ―リング)』という41.2cm×34.5cmサイズの油彩画には、約4万ユーロ(570万円)の値段がついています。こちらも額装されており、左下にサインが入った、1830年制作の作品でした。フリードリヒ・フォン・アマーリングの真作であれば、このように非常に高額な取引が期待できるでしょう。
7.フリードリヒ・フォン・アマーリングの作品の買取についてまとめ
フリードリヒ・フォン・アマーリングは爵位を与えられたオーストラリアを代表する宮廷画家です。作品は、歴史的に有名な貴族や王族などを描いた作品もあり、現在でも非常に価値があります。日本では所有している方が少ないですが、スケッチでも美術館で展示されるほどの価値があります。複製画でも買取される場合もございますので、貴重な作品を所有している場合は、是非一度お問い合わせください。
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