南 薫造(みなみ くんぞう)の絵画買取なら高額査定の可能性!SATEeee絵画買取へ
1.南 薫造の絵画作品を売りたいお客様へのご案内
南薫造は1883年に生まれた広島県出身の画家です。生涯を通じて、油絵や水彩、版画の制作に取り組み、白馬会展や文展で作品発表を続けました。穏やかな色調で彩られた安定感のある作風は現在でも人気があり、インターネットのオークションにもしばしば出品されています。真作だと判断され、さらに状態の良い作品であれば数万円を超える高値がつく可能性もあります。
このページの目次
2.南 薫造という絵画作家について
南薫造は大正から昭和期にかけて活躍した洋画家です。海外で西洋美術に直に触れ見聞を広めた南は、帰国後も戸外でのスケッチも惜しまず、全国各地に出かけ多くの作品を残しました。晩年は故郷で過ごし、瀬戸内海の風景を描きました。印象派の表現に影響を受けた穏やかな色彩が広がる画面は、現代においても多くの観客を魅了しています。屋外に置かれた机に向かう少女の後ろ姿を捉えた代表作は、切手の絵柄にも使われたことがあります。作品は東京国立近代美術館や広島県立美術館をはじめ、全国の美術館に収蔵されています。
3.南 薫造の絵画作家についての経歴など
南薫造は1883年、広島県賀茂郡内海町(現在の呉市安浦町)に生まれました。中学卒業後に上京、1902年に東京美術学校(現在の東京藝術大学)に入学し、岡田三郎助に師事します。1905年には黒田清輝らが率いる白馬会に出品、入選を果たします。1907年には渡英、ボロー・ジョンソンのもとで学びました。その後はフランス、イタリア、ドイツなどのヨーロッパの国々や、アメリカを巡りました。帰国後も白馬会展で作品を発表、また文展では二等賞や三等賞を次々と受賞。1913年には日本水彩画会の創立にかかわります。1929年には帝国美術院院会員となりました。1932年から約10年間は、東京美術学校で指導的立場につき、後進の育成に努めました。野見山暁治も教え子の一人です。1950年にこの世を去りました。
4.南 薫造の絵画代表作品とは
- 少女(1909年)
- 六月の日(1912年)
- 庭(1947年)
5.南 薫造の絵画作品の買取査定ポイントを解説
査定にあたっては南薫造の作品であることが一番のポイントです。証明書や鑑定書があること、誰からどのように入手したかという情報、作品の制作年代がわかっていることも査定額が高まる要素です。また保存状態が良いかどうか、付属の箱や袋があるかなどの骨董品の査定ポイントもあてはまります。
代表的な絵画作品の査定ポイントはこちら- 真作かどうか(証明書や鑑定書があるか)
- 画面のダメージはないかどうか
- どれくらいの大きさか
- 画面に本人の署名があるか
6.南 薫造の絵画作品の取引相場や参考価格
ヤフーオークションにもたびたび出品されており、真作保証品の油彩画は数万円で落札されています。『静物』という題の、板に描かれた油彩画は過去に7万6,686円で落札されました。こちらは色とりどりの果実や瓶を描いた作品で、大きさが8号程度(作品サイズ37.5×46cm、額サイズ60.5×68.7cm)で、画面にサインがあり、作品裏にも題名の表記があるものでした。また過去の所有者が作品を入手した時の資料もついていました。作品の状態は画面下部に少々カビが確認できるものでした。真作であることがもっとも大事な条件ですが、特に状態が良好である場合には高額査定が期待できます。
7.南 薫造の絵画作品の買取についてのまとめ
大正そして昭和期を代表する洋画家・南薫造。明るい光のあふれる画面は見る人を穏やかな気持ちにさせてくれます。水彩画や版画も手がけていますが、油彩画はさらに高値となる傾向があり、真作であれば数万円から数十万円の値がつくことも考えられます。特にサイズの大きいものや人気のある絵柄の作品は査定額が高まる傾向があります。作品をお持ちの方は、お気軽にお尋ねくださいませ。
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