福田 眉仙(ふくだ びせん)の作品を高価買取!絵画作家の査定ポイントを徹底解説!

1.福田 眉仙の作品を売りたいお客様へ

福田眉仙は、日本画の一派である南画に、「新南画風」とでもいうべき新たな画風を築きました。これまでの南画が目指した理想郷としてではなく、徹底した写実主義に基づき、輪郭線を強調する独自の表現で描いた風景画が、高く評価されています。日本や中国の名勝をモチーフにした山水画など、作品の人気は高く、高値での買取となる可能性があります。

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2.福田 眉仙についての解説

福田眉仙は、明治日本美術界の指導者であった岡倉天心に、「衰退している南画を君の手で復興してもらいたい」と強く勧められ、人生を賭けて南画の復興に取り組みました。約3年間にわたって中国各地の写生に取り組み、『支那大観』、『支那三十図巻』など中国をテーマにした作品を続々と発表し、好評を博しました。さらに、京都大覚寺襖絵など、寺社の襖絵や天井絵の制作にも数多く携わり、当代随一の大家として活躍しています。これまでの功績が認められ、1948年に第1回兵庫県文化賞、1955年には神戸新聞平和賞を受賞しました。

3.福田 眉仙の歴史

福田眉仙は、1875年に現在の兵庫県相生市に生まれました。本名は周太郎といいます。16歳の時に上京し、久保田米遷に師事しました。その後、橋本雅邦に学び、東京美術学校に通います。そこで、当時校長であった岡倉天心と出会い、大きな影響を受けました。1898年に、天心らの設立した日本美術院に参加し、さらに、天心の勧めで、1909年から1911年にかけて中国全土を旅します。中国では、写生と、南画の祖となる中国の画派「南宋画」の探究に励み、また、この時に、中国の名峰の峨眉山にちなみ、眉仙と号するようになりました。帰国後は、鋭い写実表現と、テーマにもっともふさわしい画風を採用した独自の南画を世に出し、画壇に革新をもたらします。1917年頃に兵庫県西宮市に居を移すと、さらに自身の画風を極め、多くの傑作を生み出しました。1963年、享年88歳で逝去しています。

4.福田 眉仙の代表作

  • 支那三十図巻(1917年~1919年)
  • 富士五湖図(1936年)
  • 中国三十絵巻(1950年~1958年)
  • 支那大観

5.福田 眉仙の作品の買取査定ポイント

福田眉仙の作品では風景画の人気が高く、なかでも、日本や中国の名勝地を描いた水墨画は、高額で取引される傾向にあるようです。画家の人気のため、市場では模写や真贋不明の作品も流通しています。そのため、高額での買取には真作であることが条件となり、鑑定書などが付いていれば、高値がつく可能性が高まります。また、一般的には、傷やシミなどがなく作品の保存状態が良好である、額や共箱などの付属品が揃っている、という場合は、査定額のアップが期待できます。

代表的な査定ポイント
  • 日本や中国の名勝を描いた水墨画か
  • 鑑定書などの付属があるか
  • 保存状態のよい作品か
  • 額や共箱などの付属品が揃っているか

6.福田 眉仙の作品の取引相場価格

一般市場では、現在、福田眉仙作品の模写や真贋不明の作品が多く流通しているため、真作の希少価値は高まっています。また、日本や中国の名勝をモチーフにした水墨画が人気を集めており、高額で取引されているようです。例えば、作品サイズが91cm×33.7cmの『玉山峡之図』は、中国の名勝、玉山峡を描いた水墨画で、30,500円で落札されました。また、作品サイズが33cm×135cmの『伊勢内宮神路山霊域図』という水墨画作品は36,000円で落札されています。

7.福田 眉仙の作品の買取についてのまとめ

福田眉仙は、中国由来の南画を、近現代の日本人の美意識に叶うよう、さらなる発展を遂げさせたといえるでしょう。写生を極め、それぞれの風景が最も活きる表現を追求して生み出された傑作の数々は、現在も、新たな感動を呼び続けています。希少価値の高い真作の日本画は、作品のモチーフによっては思わぬ高額査定も期待できます。お手元に福田眉仙の作品がありましたら、一度査定に出されてみることをおすすめします。

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