川地 寿山(かわち じゅざん)の作品を高価買取!絵画作家の査定ポイントを徹底解説!

1.川地 寿山の作品を売りたいお客様へ

川地寿山は、昭和期に岐阜県大垣市で活躍した日本画家です。京都で日本画を学んだ後、大垣美術・工芸会の会員となり、第1回大垣市美術展に出品するなどしました。大垣藩歴代藩主の肖像画など、地域に根付いた作品を残しており、大垣の美術界の発展に力を尽くしたことで知られています。

このページの目次

2.川地 寿山についての解説

川地寿山は、京都で日本画家、田中松寿の内弟子となり、日本画を学びました。昭和期に、江戸時代の大垣藩歴代藩主の肖像画を描くなど、日本の伝統を重んじた画題を手掛けています。東京に生まれましたが、幼少の頃に父の出身地である大垣へ引っ越し、一度離れるものの師匠の田中松寿から独立を許された後に大垣へ戻ります。大垣美術・工芸会の会員となり晩年には参与になるなど、大垣の美術界で活躍しました。

3.川地 寿山の歴史

川地寿山は、1912年に東京で生まれました。本名は絹夫。3歳で父の出身地である大垣市多良へ引っ越し、さらに8歳の時に大垣市内へ移り住みます。画家を志した川地寿山は、京都の日本画家・田中松寿の内弟子となり、日本画を学びました。独立を許された後に岐阜県関ヶ原へ移り、やがて大垣市内へ帰ります。大垣美術・工芸会の会員となり、第1回大垣市美術展に出展するなどして活躍しました。今日も大垣城内に展示されている大垣藩歴代藩主の肖像画は、川地寿山の作品です。また、自身が檀家であった真宗大谷派の浄徳寺には、1962年の親鸞聖人700回御遠忌法要のために描かれたお御堂襖絵が残っています。川地寿山が亡くなったのは1983年、71歳でした。

4.川地 寿山の代表作

  • 大垣藩歴代藩主肖像画
  • 浄徳寺お御堂襖絵(1960年頃)

5.川地 寿山の作品の買取査定ポイント

川地寿山は、生涯のほとんどを大垣で過ごし、昭和期の伝統的な日本画家として活躍しました。地域に密着していた分、作品の全国的な流通が少ない傾向にあります。もし、川地寿山の作品を所有している場合、良好な状態で保存されていたり、本人のサインや落款印があったり、鑑定書がついていたりしないか確認してみましょう。

代表的な査定ポイント
  • 保存状態は良いか(傷、シミ、カビなどがないと査定額が上がります)
  • サイン、落款印などがあるか
  • 鑑定書がついているか
  • 付属品が残っているか

6.川地 寿山の作品の取引相場価格

川地寿山は、地元大垣の代表的な日本画家として、大垣藩歴代藩主の肖像画や寺院の襖絵などの作品を残しました。大垣美術・工芸会では参与までつとめ、大垣の美術界の発展に寄与しました。活動が大垣に密着している分、流通する作品は希少です。現在市場で川地の作品の正確な相場を知ることは難しくなっておりますが、評価された画家の作品であれば一般的には数万から数十万などの価格がつく可能性があります。貴重な川地寿山の作品をお持ちであれば、査定でその価値を確かめてみてはいかがでしょうか。

7.川地 寿山の作品の買取についてのまとめ

川地寿山は、地元大垣の代表的な日本画家として、大垣藩歴代藩主の肖像画や寺院の襖絵などの作品を残しました。大垣美術・工芸会では参与までつとめ、大垣の美術界の発展に寄与しました。活動が大垣に密着している分、流通する作品は希少です。貴重な川地寿山の作品をお持ちであれば、査定でその価値を確かめてみてはいかがでしょうか。

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